HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報534号(2010年12月 1日)

教養学部報

第534号 外部公開

〈時に沿って〉迷いなき彷徨

梶谷真司

誰しも自分の来し方を折に触れ振り返る。そのたびに私は、自分の浅はかさと無謀さに妙な感慨を覚える。京都大学に入った当初、中国哲学をやりたかったのに、クラスに同じく中哲志望のすごく嫌な奴がいることが分かり、あっさりあきらめた。他方で、高校の時は理系志望だったこともあって、大学最初の二年間は、科学史・科学哲学を熱心に勉強していた。ところが専門に選んだのはなぜか宗教学。もともと宗教への興味は強かったが、確固たる決断とか熟慮の末ではなく、いつもつるんでいた悪友とふざけているうちに何となく「ノリ」で決めたように思う。そして卒論は、四年生の初めにたまたま熱心に読んでいたハイデガーで書くことに。偶然のタイミング以外の何物でもない。

その後、大学院には進学する気にならず、ドイツへ留学。半ば就職をしないアリバイ作り、半ば本気でドイツで生きていくつもりだった。にもかかわらず、全く予期しないトラブルに巻き込まれて住処を失い、一年あまりであっけなく帰国。たまたまその時、京大の大学院人間・環境学研究科ができて、入試を受けたら合格。こういうのをどさくさ紛れというのだろうか。

科学史をやろうと思ったが、指導教官は専門が現象学で、せっかくだから卒論でやったハイデガーを続けなさいとおっしゃる。そんなものかと思い、腹をくくってハイデガーに本腰を入れて取り組んだ。ところが博士課程に進むと間もなく、私は自分がやりたいテーマを完全に見失い、本気で研究をやめようかと思った。しかし運よくその時、ヘルマン・シュミッツという現代ドイツの現象学者に出会った。「哲学の終焉」などと巷で言われ、自分もそのムードに引きずられていた時、彼の現象学は、途方もない思考の可能性を開いてくれた。自分が今でも研究を続けていられるのは、間違いなく彼のおかげである。

これだけ劇的な経験をすると、シュミッツに人生を捧げてもよさそうなものだ。しかし博士論文をハイデガーとシュミッツで書いた後は、話せば長いいきさつがあって中国医学の勉強をし、ふとした拍子に民俗学にハマり、民俗宗教について研究したりした。遅ればせながら中国と宗教に回帰し、昔の借金を返したような気分だった。

その後どうなるのかと自分でもやや不安に思っているうちに、就職先が見つかって東京に来ると、縁あって江戸時代の医学の勉強を始めた。これが面白くて、そのうち自分で近世の育児書や養生書の研究を本格的にするようになった。

これだけあちこち放浪していても、なぜか迷いはなかった。人や本との出会い、不意のハプニング、自分を取り巻く物事の流れ、勢い……そういうもろもろの行き当たりばったりに、ただ身を任せてきた。運命なら、逆らっても仕方ない。それに従えばいいのだと、私は信じている。今年から駒場に来たのも、何か大きな力に引っ張られたように感じる。これからどんな出会い、どんなハプニングがあるのか楽しみだ。

(超域文化科学専攻/ドイツ語)

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