教養学部報
第535号
サンデル教授に刺激されて、彼の語っていない これからの正義の話をしようin Komaba
山脇直司
昨年(二〇一〇年)、日本の人文社会科学界で、ひとつの予期せぬ大きな出来事が発生した。それは、政治哲学者マイケル・サンデルのハーバード白熱教室がNHK教育テレビで放映されて多くの視聴者の関心を呼び、その元になった彼の著作『これからの正義の話をしよう』(早川書房)が、この類の本としては異例の六〇万部もの売り上げを記録したことである。それを受けて、八月二五日に安田講堂で「ハーバード白熱教室in Japan」が開催され、約二百五十名の東大生を含めた八百名以上の聴衆を相手に、サンデル教授が四時間を越える対話型講義を行い成功を収めたことも、東大史の一角に刻印されるであろう(なお、その模様は『学内広報』№No.一四〇三で窺い知ることができる。また、http://utnav.jp と東京大学iTunes Uで配信予定という)。
これほどの反響があった理由を私なりにまとめれば、日本では、(1)大教室で学生に質問を投げかけながら対話しつつ進めるような対話型講義があまりなかったこと、(2)吉野作造、南原繁、丸山眞男らの先達にもかかわらず、政治哲学が未発達であったこと、(3)お裁きの正義ではなく、我々の日常生活に見出される正義というコンセプトに、多くの人々が覚醒されたこと、などが挙げられよう。しかし、こうしたサンデル・ブームは<日本だけに限らず、お隣の韓国でも同時発生し、ソウル大学での彼の講演では、大講堂が超満員になったというから驚きである。
ともあれ、政治哲学が一部の学者だけの関心事ではなく、市民の誰もが関わることができるテーマだということを喚起した点で、このブームは大いに歓迎されよう。以下はそれを受けて、サンデル教授がまだ語っていない正義についての短い随想である。
思想史的に振り返れば、正義というコンセプトは、古代ギリシアから多様な意味で用いられてきた。トラシュマコスというソフィスト(当時の知識人)の「正義とは強者の利益である」というシニカルな正義論は、今でもたとえば、イラク戦争を仕掛けたブッシュ前大統領が「正義」を強調した時、世界中の多くの人々が共鳴できるような現実味を帯びている。それに対抗して、プラトンやアリストテレスがそれぞれ展開した独自の正義論も、昔話ではないアクチュアリティを帯びている。しかし今回は、思想史の話にはあまり立ち入らず、現下の深刻な公共的争点を、正義論から照らし出すことにしよう。
まず、EUでは長らく廃止されている一方で、日本では八〇%以上の人々が廃止に反対している死刑制度から始めよう。死刑制度の是非をめぐる論争は、一方が正義を重視し、他方がそれを軽んずるという問題ではない。それは、二つの異なる正義観の対立として図式化できる。すなわち、因果応報に立脚する「報復的正義(retributive justice)」を重んじる死刑存置論と、赦しと和解に立脚する「修復的正義(restorative justice)」を重んじる死刑廃止論の対立である。
報復的正義は、カントやヘーゲルをはじめ多くの哲学者が支持してきた正義論で、他者の命を奪ったものは自分の命を捧げることでしか正義は成り立たないという思想である。
それに対し修復的正義は、悔悛を前提とした加害者と被害者側の関係に焦点を合わせ、謝罪→処罰→赦しによる関係修復を目指す思想である。これは南アの真実と和解委員会などによって人口に膾炙した考え方なのだが、キリスト教的な「赦しと和解」の観念が弱い日本社会では、受け容れ難い正義論かもしれない。しかし、日本にもメジャーな宗教として仏教の伝統があるので、真正の仏教徒がこのテーマについて活発に発言し、論点を深めてもらいたいと思う。
次に、沖縄の米軍基地問題はどうか。これは、日米安保を認めない論者にとっては、即刻不正義と裁断すべき事柄であろうが、日米安保を支持する多くの国民にとっても、避けることのできない「社会的公正=分配的正義」に関わる大問題である。なぜなら、在日米軍基地の沖縄県民の負担率が、国内全体の負担の四分の三近くを占める現状は、どう考えても不公平だからだ。したがって、普天間基地移転問題は、辺野古に移転すれば片付く問題ではなく、日本国民が「分配的正義=負担の公平」という観点から、突き詰めて考えなければならない深刻な問題と言える。NHKで是非とも「これからの正義を語ろう in Okinawa」という番組を企画し、放映してほしいものである。
これからの正義の話はしかし、一国内のレベルに留まることはできない。今後の国際秩序を考える上で、一国内部の正義論を超えた「トランスナショナルな正義論」の展開が不可欠となる。地球的規模での経済格差をどう是正していくべきか、環境破壊にどう対処すべきか、地域間紛争をなくし、永続的な世界平和の構築や人間の安全保障をどのような形で実現するべきかなどのテーマは、ドメスティックな正義論では処理不可能だ。いや、場合によっては、複数の国家や国民が自らの正義だけを主張することによって、格差や紛争が拡大する危険な事態すら生じかねないだろう。したがってこれらの論考は、まだサンデル教授が語っていないところの、国家間ないし国民同士が協働で追求すべき「トランスナショナルな正義論」をベースとしなければならない。
私が思うに、こうした重いテーマを、率先して諸外国からきた留学生とともに語り合えるような学生を育てていくことこそ、これからの東京大学に課せられた大きな使命であろう。
(国際社会科学専攻/社会・社会思想史)
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