HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報535号(2011年1月 5日)

教養学部報

第535号 外部公開

世界自然遺産へのいざない

後藤則行

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知床岬(知床データセンターHPより)
昨年機会があり二カ所の世界自然遺産登録地、知床と屋久島を訪れた(日本には白神山地を加えて合計三カ所ある)。いずれも日本、いや世界の宝であり、大切にしたいと思う。世界遺産の登録に関しては、概ね歓迎ムードで伝えられるが、観光客の増加に伴う自然環境の悪化をはじめ、漁業や林業など地元住民の経済的営みとの軋轢、動物生態系の変化への危惧など負の側面も指摘されてきた。これらに関して、現地の人々の生の声を聞くことも訪問の一つの目的であった。簡単な報告と感懐を記したい。

多少の説明を加えておくと、世界遺産とはユネスコ「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(通称世界遺産条約、一九七二年採択、一九七五年発効、日本は一九九二年に批准)」に基づき各国が申請、承認されると登録リストに掲載され、世界的な保護・保全の対象になる。自然遺産の登録基準は、(1)類例を見ない自然美や景観、(2)地球の歴史上から重要な地形・地質、(3)重要な生態学的・生物学的過程の見本、(4)④絶滅の恐れがある種を含む生物多様性の保全、である。なお日本では、上記の他に一九九三年の「法隆寺地域の仏教建造物」と「姫路城」を皮切りに現在十一件の文化遺産が登録されている。

詳細な調査報告の余裕はないが、全般的には世界遺産の登録は好意的に受け止められている雰囲気を感じた。観光客数の増減について、屋久島では一九九三年の登録以降の十年間に平均して年率二%弱の増加傾向を呈したのに対して、知床では登録年二○○五年に前年比九・六%増と一時的に増加したが、その後平均年率三%程度で減少するなど対照的である。その理由として可能なレジャー形態や登録当時の経済状況の違い、昨今の廉価な海外旅行の拡大などが考えられるが、その直接的影響について判断は困難である。

懸念された観光客の増加による環境悪化については、一時的に散見されたが、地元関係者の広報努力や最近の環境意識の向上等により改善されて来ているようである。知床の場合にはむしろ、増加が望まれる状況にあると言えよう。

世界自然遺産をどのように管理・活用してゆくかが今後とも重要な課題になるが、登録をきっかけに世界自然遺産センターや協議体、ワーキングなどが設立され、ツーリズムと自然景観や生態系維持との望ましい共生関係を目指した議論と努力が世界遺産委員会、国、地方公共団体および地元住民の連携で推進されている。こうした協力体制の整備は遺産登録の大きな成果の一つと言えよう。

自然環境に対する価値観は人によって千差万別だろうし、例えば知床には開拓農民の離農地を乱開発から守った「一〇〇平方メートル運動(当時の斜里町長藤谷豊氏による一九九七年記者会見で始められた全国募金による土地買い上げと町管理を実現した運動)」など歴史的重みをもった現地住民と自然環境との深い絆や心情的関係といった背景も存在する。画一的ではなく、それぞれの特色を生かした世界に誇れる自然遺産として後世に引き継ぐべく期待するとともに、一国民として支援したい。

自然環境の保護というのは言葉では簡単だが、長年この分野の仕事に関わってきて、つくづく難しい観念のように思う。人間の干渉がない原自然の維持を意味するのだろうか。しかし仕事で密林探訪の経験もあるが、正直言って薄気味悪さを感じたのも事実である。手入れの行き届いた緑化公園や人工的な庭園など心地好く感じるが、これを自然保護というのもどこか矛盾を感じる。思想的にも、自然の諸物全般の価値を公平に認めるエコロジー思想(この中にも、諸生命の差別をめぐって種々ひしめき合う)から功利主義など人間中心主義(すべての価値は人間にとっての価値に還元される)まで、論争が続いている。

少し頭で考えるのは止めてみよう。観光客の喧騒を離れ、ひとり風すさぶ岸壁より海鳥舞う大海原を見やるとき、鬱蒼と茂る樹林を彷徨い屹立する大木を見上げるとき、何とも表現できない感慨にとらわれ言葉を忘れる。これらを美・崇高と呼ぶのだろうか。理屈をこねて説明するのが商売であるが、かようなとき理性は寡黙である。暖かく包み込まれるような安らぎの感覚をおぼえる反面、圧倒的な威圧感から受ける恐怖と不気味さを心の奥底に感じる。

学者の癖で進化論など取り出し、自然から生の恵みを受ける一方自然との絶え間ない戦いという長い人類史の記憶が遺伝子に刻まれているのかと推論を試みても、所詮は理屈にすぎない。「自然の保護などと偉そうにほざいているが、ちっぽけな人間がわたしを護るなど笑止千万の身の程知らずだ」との声がどこからとなく聞こえてくる。

私のような学者を筆頭に、また東大生はすべてを頭脳のみで解決しようとするとの世評を以前どこかで聞いたことがあるが、物事を何でも理屈(理性)で納得することには限界があろう。自然環境との関係を心身全体で感得すべく、ときに世界自然遺産を訪れてみてはいかがだろうか。

(国際社会科学専攻/国際関係)

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