HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報535号(2011年1月 5日)

教養学部報

第535号 外部公開

〈時に沿って〉十年、過去・現在・未来――女性国際戦犯法廷のこと

神子島健

十年前にあった出来事で、現在の自分に大きく影響したことはありますか? プライベートなことでも、社会的な出来事でも。
と書いてる私にはしかし、大きく影響した十年前の出来事があるわけではない。でもやっぱり十年前の出来事について書きたいのだ。ちなみにこの学部報が出るのは新年早々だけど、ボクがこれを書いているのはまだ二〇一〇年だから、念頭にある「十年前」は二〇〇〇年のことだ。

二〇一〇年八月に総合文化研究科国際社会科学専攻の助教に就任した私は、十年前、駒場の学部生だった。現在研究をしているアジア・太平洋戦争(主に思想や文学を通して戦争について考えている)に既に関心があり、高橋哲哉先生の授業に出た。そこで出くわしたのが、二〇〇〇年一二月に開催された「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」だった。日本軍「慰安婦」とされてしまった女性たちが多くの国から参加し、証言したこの法廷。

詳しくはVAWW-NET Japan(バウネット・ジャパン)編『女性国際戦犯法廷の全記録 Ⅰ・Ⅱ』(緑風出版、二〇〇二年)をご覧ください。あ、でも駒場図書館には入ってないけど……。

法廷よりも、それを取り上げたNHKのETV特集「問われる戦時性暴力」が改編されたことでご記憶の方が多いかもしれない。改編には自民党の政治家が介入したとの指摘があり、法廷の取り上げた「従軍慰安婦」(あるいは日本軍性奴隷制)についての事実を明らかにし、その責任を問うことがいかに強い政治性をはらんでいるかを示している。

社会構造から戦争を考えると、民族、ジェンダー、経済力等々における弱者に被害が大きくのしかかりやすい。だからこそ植民地や被占領地の貧しい女性に被害者が多い。彼女たちの多くは、教養学部を歩いている学生と同じくらいの年齢か、あるいはもっと若かった。戦後もそれを無視しあるいは正当化し続けてきた強者の論理を、根底から批判する視座をこの法廷は投げかけた。戦時に被害を受けたばかりか戦後も社会的な発言を封じられ、社会から排除されてきた彼女たちと、口を閉ざしていた彼女たちの存在を突き止め、寄り添い、支えてきた人々。その両者だったからこそ、現在の社会のあり方に、多くの人が気付かずにいる根源的な批判を発することができたのだ。

ここまで書いてきたが、やっぱりこの法廷は私に「大きく影響した十年前の出来事」ではなかった。正直、恥ずかしながら当時のボクにはその巨大な意味があまりに呑み込めていなさすぎた。この問題自体も、それを取り囲む様々なものも。今も十分に分かっているかは心もとないが、今、この問題が私の中で大きく動いている。十年前つかめていなかったものが、今になって見えてくる。それでは遅すぎて困ることもある。でも、歴史を学ぶにはそういうプロセスを抱え込まざるを得ない。この問題はもしかしたら十年後の自分を変えているかもしれない。ふとそう思った。

(国際社会科学専攻/社会・社会思想史)

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