HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報537号(2011年4月 6日)

教養学部報

第537号 外部公開

世界を切り拓く皆さんへ

長谷川壽一

A-1-2.jpg東京大学に入学なさった皆さん、教養学部を代表して心より歓迎の意を表したいと思います。これから 専門の各学部に進学するまでの二年間、皆さんはこの教養学部で共に学びます。中には一刻も早く、希望の学部に進み専門教育を受けてみたいという方もいるこ とでしょう。その一方で、まだ最終的な進路を決めかねている方も多いと思います。(振り返って私自身は後者でした。)

教養学部の初代学部長、矢内原忠雄先生は、教養学部の理念についてこう述べています。「ここで部分的専門的な知識の基礎である一般教養を身につけ、人間 として偏らない知識をもち、 またどこまでも伸びていく真理探求の精神を植え付けなければならない。その精神こそ教養学部の生命である」

矢内原先生のこのメッセージを少し言い換えてみましょう。専門に早く進みたい方にとって教養学部の2年間は、基礎固めの時期であると同時に、志望する専 門分野が社会や世界とどのように関わるかを知り、真に自分の生きがいとなりうることを確認する時間です。また、進路を決めかねている人にとって教養学部 は、世界や宇宙の広がりと学術・研究の多様性と関係性を見渡すいわば展望台であり、皆さんが有するそれぞれに恵まれた才能を、どの方向に向けて伸ばしてい くかを選択する場です。

いずれにせよ、若きエネルギーが溢れるこの時期に、長い人生を航海していく上での羅針盤、あるいは多次元宇宙空間をスペーストラベルしていく上での座標 軸を身につけてください。「自走する力」、これは私の同僚の言葉ですが、教養学部の豊富な授業群は皆さんの主体的な学びを真剣に支援します。一人一人が自 身で問題を発見し、自ら学びの方法を選択し、皆さんの個性や関心に応じた地力を培う時間になることを心から願っています。

さて、大学入学の年は、後にふり返ると、当時の主要な出来事と共に思い起こされることでしょう。私の場合は一九七二年でしたが、それは沖縄返還であり、 日中国交正常化でした。皆さんの東大入学の春は、いつの日にかきっと、アラブ諸国の民主化運動と共に語られることと思います。半年前には誰もが予想しな かった形で、中東情勢が激変し続けています。なぜこのような展開になったのか、自問を続けてみてください。

中東の民主化運動を読み解くキーワードの一つは、社会格差です。近現代の革命は、ほぼすべての場合、虐げられた非抑圧者たちの自然発生的な蜂起を伴って いますが、今回の中東もその例にもれません。フェイスブックのような新しい「情報兵器」が登場したからこそ中東革命が生じたということも事実ですが、人々 の義憤がなぜかくも強く噴き出すのかという分析が重要でしょう。

古典的な経済学理論では、人間は効用(満足度)を最大化するように合理的に振る舞うものと見なされてきました。ところが、潤沢なオイルマネーを中心に順 調な経済成長を続けてきたエジプト、チュニジア、リビアでさえ、人々はたんなる所得の上昇よりも、社会の格差に対して鋭敏でした。「格差感受性」という概 念は、中東情勢に限らず、近年の社会科学や認知科学でもっともホットなトピックのひとつです。公正な分配に固執する人間の本性に関するじつに面白い実験や 調査が学術誌を賑わし、その脳内メカニズムにも科学的解明が進んでいます。

さらにもっとマクロなレベルで言うと、そもそもなぜヒトという生物が、進化の隣人であるチンパンジーと違って、格差に鋭敏で、公正性に強くこだわり、そ れが実現されない場合に強い憤りを感じるのかという問いが、(私が専門にする)進化人類学の中心課題になっています。今日の中東の問題は、実は過去の人類 進化史とも深く関連しているのです。

少し話しが膨らみ過ぎたかもしれません。ただし、教養学部の科目群は哲学、歴史、社会、自然科学を超えて相互に絡み合っていることをあらためて強調した いと思います。この先グローバル化が一層進む中で、社会を舵取りしていくには、文理の叡智を統合できる才覚がますます求められています。

ここでは詳しく触れませんが地球環境問題でも事態はまったく同様で、文理を二分する思考ではもはや持続可能な社会の設計は立ちゆきません。東京大学教養 学部は社会リテラシーと科学リテラシーの双方を学ぶ上で、おそらく日本で最高の知的環境を提供できる場であり、矢内原先生が述べた理念の通り、総合知を育 む場だと思います。駒場の学びを通じて鋤き込まれた「知的な堆肥」は、速効性はないかもしれませんが、やがて皆さんの血となり肉として結実することを信じ ています。

また、間もなく竣工する「理想の教育棟」に見られるように、駒場キャンパスではさまざまな先端的社会実験にも積極的に取り組んでいます。現代社会が直面する諸問題に、教養学部はリアルタイムで応えていきます。

この先、課題満載の世界を切り拓くのは皆さん自身ですが、私たち教職員は一丸となって、教養学部の基本理念に基づき、若い力を応援していくつもりです。ぜひ有意義な2年間を過ごしますよう、ようこそ駒場へ。

(総合文化研究科長/教養学部長)

追記:
本稿校正中に大震災の悲報が入り、続き原発事故が緊迫した局面を迎えています。
未曾有の危機的状況下に入学を迎える諸君には、大学人であることを強く自覚し、社会の再建に向けて叡智を振り向けて欲しいと願います。

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