HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報538号(2011年5月11日)

教養学部報

第538号 外部公開

学際研究のかたち――精神分析と哲学

原和之

B-1-2.jpg 写真は去る11月にブラジルで開催された学会に参加した際に撮影したものである。鬱蒼とした木立の 中、先を行く人たちの姿が右下に小さく見える。どこの森の中かと思われるかも知れないが、実はこれ、歴とした大学構内だ。ブラジル最大の都市サンパウロ中 心部の西を流れるピニェイロス川を渡ってすぐの大学都市。今回の学会はその中にあるサンパウロ大学の哲学科の主催で行われた。

参加した学会の正式名称は「国際精神分析・哲学学会」、2008年に発足した学会で、参加したのはパリ/ルーヴァン大会、ボストン大会に続く3回目の年 次大会である。縁あって創設の時から参加しているが、今回はグローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」の若手研究者とともに参加すること になった。

精神分析がヨーロッパで神経症の精神療法として登場してから百年余り、ナチスドイツの迫害にあった初期のユダヤ人分析家たちが亡命を余儀なくされたこと もあって、精神分析は世界の多くの地域に広がり、それぞれの土地で独自の発展を遂げることになる。そのなかでフランスでは、20世紀の半ばから、言語学や 数学を準拠枠に展開されたいわゆる「構造主義」の潮流(といってもこれは決して一枚岩の運動ではないのだが)のなかで、人文学と深く結びつきながら展開し てきた。

その結びつきの中にはまず精神分析が人文学に与えた影響という側面があって、これは文学におけるシュルレアリスムにはじまり20世紀後半のフランス哲学 の展開に至るまではっきりと現れている。またその一方で、反対に人文学が精神分析に与えた影響も無視できない。そもそも創始者のジグムント・フロイトが精 神医学や神経学のみならず、文学や民俗学、神話学をも参照しながらその議論を展開してきたということがある。

よく知られている「オイディプス・コンプレックス」の概念にしてもソフォクレスの戯曲『オイディプス王』なしには考えることができないわけだが、フラン スではとりわけ精神分析家ジャック・ラカンがさまざまな文学作品のほか、ヘーゲルやデカルトといった哲学者を参照しながら独自の方向性を打ち出した。フロ イトや一部の精神分析家が精神分析の「科学性」を殊更に主張したことがあったにせよ、 「フレンチ・フロイト」と呼ばれるようなこうした地域独自の展開が生じうるということ自体、自然科学では考えられない現象であって、精神分析の文化現象と しての性格を示すものということができるだろう。

精神分析と人文学の間の相互作用という事象自体とても興味深いもので、この領域での研究を志したのもそれが理由であったわけだが、精神分析をこのような 側面から取り扱うということには一定の難しさがつきまとうということが、研究を進めるにつれて次第にわかってきた。もっともこの難しさは、現存する社会的 実践を取り扱う際につねにつきまとう難しさであるといえるかもしれない。精神分析に関心を寄せる人たちの多くはまず、精神療法としての精神分析に興味を持 つ。

つまり精神分析療法を身につけ、精神分析家になろうとしてこれを学ぶわけだが、そうした興味からすると、精神分析が多かれ少なかれそなえている地域性と いった問題は、さしあたり副次的なものにとどまることになる。またより一般的に言えば、精神分析を一定の有効性をそなえた治療なり解釈なりの手法として用 いるという態度と、これを一種の文化的な産物と捉えて対象化するという態度は、相互補完的な二つの態度だといえるだろうが、その間の舵取りは決して容易で はない。

加えてさまざまな事情のもとで専門化が進むにつれて、精神分析を特徴付けていた学際性を支える学問領域相互の風通しが、かならずしもよくなくなってきて いるということもある。幸いフランスでは、哲学や文学のアグレジェ(教授資格保持者)が精神分析の道に進むといった例が決して珍しくはなかったということ もあって、そのあたりはまだましだということができるかもしれないが、 いずれにしても同様の関心を持つ研究上のパートナーを見つけることは既存のディシプリンに比べると容易ではない。 この点は留学中から繰り返しぶつかった壁だが、ここ数年でようやくある程度の見通しがたったように思う。

ある地域を研究するときに、その地域出身の研究者の話を一対一で聞くのはどうしてもお説拝聴という感じになってしまって、まともな議論になりにくい、そ んなときに同じ地域を研究するさまざまな出身地の研究者のグループで話をすると、そうした弊はずいぶん除かれる、とはいつか地域の古矢旬先生がおっしゃっ ていたことだが、先述の学会の立ち上げの過程では、そのことを実感することになった。自分の国、対象となる国を超えて、対話相手をもっと広い範囲で探して みることで、同じ目線で議論できる研究者仲間を見出すことが可能になる。

この場合は地域間の関係以前に、精神分析と哲学という二つのディシプリン間の関係があるために、それぞれの研究者の立ち位置がいっそう複雑になっている ということがあるわけだが、いずれにしてもこの両者の密接な関係に意義を認めてフランスから、そして世界中から集まってくる研究者の間で、ようやく実り多 い対話の条件が整うのではないかと期待している。

さて、冒頭の写真である。フランスのことをやる以上フランスへ行くのは当たり前、と一途に思って留学したのが今を去ること二十年前。その頃にもし「おま えは二十年後にブラジルで開催される精神分析の学会に参加しているだろう」と言われていたら、それをすんなり信じることができたかどうかは疑わしい。第二 次大戦後の南米における精神分析の隆盛も、再民主化以降のブラジルが精神分析を貪欲に吸収しようとしてきた歴史もまだ知らなかった私の頭の中で、精神分析 とブラジルはほとんど結びついてはいなかったのだ。

ただ、そうなればいいと思いはしたかもしれない。その当時、複数のフィールドを自在に行き来しながら雑誌『メリ・メロ』を発行していた地域の先輩たち は、ブラジルをこの上なく魅力的な姿で描き出していた。もしそのイメージがなかったら、三年前、そもそもこの「国際精神分析・哲学学会」に参加するきっか けとなった学会がブラジルで開催されると伝え聞いたときに(詳細はUTCPのブログ記事を参照いただければ幸いである)果たしてあれほどすぐに行ってみよ うという気になっていたかどうか。

ここへ来ようとずっと思っていた、というわけでもないけれど、気づいてみれば自分はあのブラジルに来ているのだなあ。昼食に遅れまいとして思いがけず入 り込んだ背の高い木立のなか、はるか向こうに見え隠れする同僚たちの背中を追いかけながら、なんだか不思議な気分に捉えられていた。

(地域文化研究専攻/フランス語・イタリア語)

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