HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報539号(2011年6月 8日)

教養学部報

第539号 外部公開

理系学生にもっと第2外国語を ~豊かな国際化のために~

佐藤直樹

539-B-1-2.jpg二年ほど前から、科学関連の文章をフランス語で読むという全学自由ゼミナールをひらいている。人数 は多くないが、やる気のある学生諸君とともに、半年間勉強する楽しみな授業である。最初は、科学全般について解説した Copain des Sciences『科学はともだち』という中学生向きの本を使って、今までフランス語の学習では接したことのない言葉に慣れるようにしている。この本は、 二ページ見開きでひとつひとつのトピックについて、要領よくまとめたもので、カラーの図がふんだんに使われており、非常に読みやすい。雑誌ニュートンに似 たところもあるが、きちんとした図が使われ、生物、物理、化学、天文その他何でも書いてあるので、機会があれば翻訳して日本の子供たちにも紹介できるとよ いと思っている。

その後は、パスツールの『自然発生説の検討』、ラボアジェの『化学要論』などを扱い、雑誌 La Recherche のウェブサイトから取得した最新の科学記事なども読んでいる。学生たちにとっては、かなり難しい時もあるが、がんばってついてきてくれる学生には感謝して いる。

ところで、私がなぜこのようなゼミを始めたのか、ということを説明するには、「英語以外の外国語が現実に使われていること」から始めなければならない。 いまではフランス語というと、料理や服飾、シャンソンなど文化的なものや法律制度などのイメージが強い。しかし、今日の数学・自然科学の基礎を作ったの は、主にフランスとドイツそれにイギリスなどを含むヨーロッパの研究者で、重要な法則や単位の名前にフランス人の名前がある。

最近話題の放射能にしても、キュリー夫人に始まる研究の伝統があるため、原子力はフランスの得意技術であり、来日した原子力企業の社長もフランス語で記 者会見をしていた。このほか、オリンピックのアナウンスや、国連の安全保障理事会も、フランス語と英語が使われている。英語が国際化に必要なことは確かだ が、英語があれば世界共通で万能だという人は、他の言語が実際に使われていることを知らない(聞いてもわからない)のだろう。英語でもやりとりはできるか も知れないが、話す内容は同一ではなく、その理由の一部は観点や立場が違うためである。

衛星放送のワールドニュースを視ると、各国が力点を置くニュースは異なっていて、日本では全く報道されない話もある。また、微妙なことを英語で説明でき ないのは、どこの国の人でも同じである。時にはアメリカ人などに聞かれたくない内容もあろうが、その場合は、英語で言うわけにいかない。英語以外のコミュ ニケーション手段は、国際化の時代には必須である。

学術的観点からも説明したい。昔の日本人は、フランス語やドイツ語で論文を書いた。生命科学教科書に解説を載せたが、明治期における東大植物園の世界的 業績である「イチョウ(銀杏)の精子発見」の論文は、一八九六年に植物学雑誌に発表の後、ドイツの学術誌に一八九七年に発表され、さらに詳しい報告が一八 九八年にフランス語で東京帝国大学紀要(写真)に掲載された。日本人の研究業績でも、詳しく知るには、ドイツ語なりフランス語の論文を読まねばならない。

少なくとも戦前は、独仏語の論文がごく当たり前のものだったことは間違いない。ところが、現在の理系学生の教育では、必修第二外国語は一年で終わりであ る。たしかに、理系では、最新の研究成果はほとんどすべて英語で発表されるので、英語だけでよいかもしれない。さらに、英語すらろくにできないとの批判も あろう。しかし、欧米の研究者・文化人であれば、自国語も含め、英語以外の言葉にも精通 しているのは、全員でないにしても、普通のことである。残念ながら、昔の論文を読むことができない日本人は、大きなハンディがあると言うべきである。どん な研究にも必ずルーツがあり、新しいことに取り組むときには、その研究の始まりを調べることが大切である。今やっていることが、世界で最初ではないかも知 れないからである。最近研究を始めた「生物対流」については、一八六〇年にネーゲリがドイツ語の論文で最初の記載をしているが、多くの論文では忘れられて いる。

一人の人間が学ぶときに、たくさんの言葉を学習することはたしかに難しい。人により得手不得手もあろう。しかし、国際化は、二国間ではない。多国間の文 化・学術交流には、英語だけでは不十分である。学術的なことも含め公式の内容は、英語でもよいだろう。しかし、私的なコミュニケーションこそが国際交流の 本質である。それぞれの人が、それぞれに得意な言葉を使ってコミュニケーションをはかり、そうしたものの総体として、日本全体として、多くの国と多角的な チャンネルができる、というのが国際化に求められていることではないだろうか。もともと何でもできるのが、文系でも理系でも東大の学生に求められているこ とである。大学としても、是非、道筋をつけて取り組んでいってほしいものである。

(生命環境科学系/生物)

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