HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報542号(2011年11月 2日)

教養学部報

第542号 外部公開

〈時に沿って〉 二つの「災後」から

杉山清彦

春、多くの人びとが学びの門をくぐり、また巣立ってゆく。しかし私が駒場の教壇に立つことになった今年の春は、申すまでもなく、騒然とする中での出会いと別れであった。  私は前期課程で歴史学を講じているが、この道に進んだのを大学院に入ったときとするならば、同じようにただならぬ中の春であった。

大阪大学で東洋史を学んだ私は、大学院進学を志したが、そのためには当り前だが卒業論文と院試という二つの関門をくぐらなければならない。(今の学生諸 君には想像できないかもしれないが)手書きの卒論を清書しあげて冬休み明けに提出し、次なる院試の勉強のため、ひとまず疲れを癒そうと下宿で休んでいたそ のとき、地の底から湧き出るような地鳴りの音が響き、次の瞬間、闇の中で布団ごと身体が突き上げられた。平成七年一月一七日未明、阪神大震災である。

幸い一階だったため自室に大きな被害はなかったが、大学近くに住まっている学生たちで研究室に駆けつけてみると、本棚という本棚がことごとく倒れ、とい うより飛んでいて、戸も開かない惨状であった。窓から入ってみれば、前の週提出したばかりの自分たちの卒論も、倒れた本棚とうずたかく積み重なった本の山 の下に埋もれている。これを引っぱり出して教官に読んでもらわなければ、進学どころか卒業もできないではないか。みんなで必死に卒論を掘り出したその日の 帰り、小高い丘の上にあるキャンパスから神戸の方を望むと、幾筋もの黒煙が立ち上っているのが見えた。その光景と、それを見たときの思いは、今も忘れるこ とができない。

混乱の中、掘り出された卒論は無事通り(友人の卒論の表紙には、誰かの足跡があった)、院試もパスして私は研究の道に進み、十余年の歳月を経て今があ る。私の専門は、外国の古文献を相手に考証を積み重ねてゆく古典的な学問であり、その門をくぐった時のこの体験と直接の連関があるわけではない。しかし、 再び大災害が社会を揺るがすなか着任して、今語るべきことがあるのではないかと思っている。

真偽も定かならぬ雑多な情報の海の中から確かなものをすくい上げること、目の前のことだけにとらわれず、長短さまざまなタイムスパンで物事を眺められる こと──それら歴史学を通して培われる力は、むしろ情報が溢れ、見通しが立ちにくい時代にこそ必要なものであると感じられる。そしてその力の涵養は、まず 自分や自分たちの来し方を顧み、自分が今どこに立っているのかを見つめることと不可分であるように思われる。

私はといえば、現代の日本からはほど遠い、過去のアジアについて学んでおり、また関東地方で教壇に立ちながら、自らは関西人(播州人)である。しかし、 そうであるからこそ、現代の日本について、また東京や東大のあり方について、見えてくるものがあるように思う。この春駒場の門をくぐった一人として、これ からの出会いがどれほど刺激を与えてくれるか楽しみであるし、また自分がどれほど刺激を与えられるか、奮い立つ思いがしている。

(地域文化研究専攻/歴史学)

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