HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報543号(2011年12月 7日)

教養学部報

第543号 外部公開

<時に沿って> 流転する人生

東 大作

私は、一九九三年にNHKのディレクターに就職した。一か月ほどの研修を経て、配属が決まったが、 なんと同期のディレクターで一人だけが行くはめになる「政治番組班」という部署であった。同期の多くが地方に行って自由にリポート作りを始める中で、自分 は、国会中継の手伝いや、討論番組のフロアーディレクターなどをしなければならない。天をあおぐ気持ちだった。

だが分からないもので、その年の夏に宮沢政権が崩壊。自民党も分裂し、戦後最初の本格的な政権交代が起きた。私も毎日国会周辺で、羽田派が自民党から分 かれる瞬間や、自社さ政権ができる瞬間などを目の当たりにし、人生の決断を迫られている個々の政治家にインタビューする機会を得た。そうした時代の大きな 転換点に身を置くことができたことは、ラッキーだった。

入局から二年後、私は福岡放送局に転勤。念願の地方勤務で好きな番組制作に取り組むことになった。ごみ処理の問題に失敗して刑事告訴された町長の物語。HIV感染者への診療ネットワークを作ろうと立ち上がったある開業医の奮闘を描いたクローズアップ現代。

自分の取材を通じ社会に伝えるべきだと考えたことを、テレビの媒体を使って世に問うことに大きな生きがいを感じ始めた。そして入局から4年目、ベトナム 戦争の指導者だったアメリカの元国防長官マクナマラ氏と、元北ベトナム政府の首脳が、戦争から三十年たった一九九七年ハノイで対話を行い、「あの戦争がな ぜ起きてしまったのか。どうしてもっと早く終結させることはできなかったのか」を話し合ったと知った。

一年間必死に取材を続け、最終的に対話の録音テープや写真を手に入れ、最後にはマクナマラ本人と交渉して、なんとかNHKスペシャルで放送することができた。私が手掛けた最初のドキュメンタリー番組だった。

その後二〇〇四年まで、中東和平、北朝鮮核問題、イラク戦争など、国際紛争の解決のために苦闘している人々を追い続け、NHKスペシャルを作っていた。 だが、元来抱いていた、国連の政務官として直接平和作りのために仕事をしたいという夢が捨てきれず、その年の七月にNHKを退職した。同じ局でアナウン サーをしていた妻も同じ月に退職し、二人で六歳の息子を連れて、カナダのバンクーバーにある大学院に留学を始めた。「将来、路頭に迷うのではないか」とい う不安を抱えての出発だった。

それから今年で七年。懸命に勉強してなんとかMAとPhDで修練を積むことができ、〇八年にはアフガニスタンと東チモールで現地調査を行い、そのリポー トを国連PKO局から出版。二〇〇九年には『平和構築』(岩波新書)も出版することができた。そうした実績が評価され、その年の末、念願の国連アフガン支 援ミッションの政務官としてカブールでの採用が決まった。カブールでは、アフガニスタンにおけるタリバン等反政府勢力との和解についての国連側の実務責任 者を務め、新たな和解プログラム作りに携わることができた。去年末一年間の任期を終え、今年一月から駒場で勤務している。

心ならずも流転する人生になってしまったが、まだ後悔はしていない。子供のころから「平和のために仕事がしたい」という気持ちをずっと持っており、 NHKにいた時は、ディレクターとして何ができるかを考え、その後は研究者、国連政務官、そして今は大学の准教授として何ができるかを考えている。

人生に成功や不成功があるとは私は思っていないが、自分の好きなことに出会えて、それを少しでも自分の生業と結びつけることができた人は幸運かも知れな い。これからも、「どんな形でもよいから、平和作りに関わることで生きていきたい」というのが、自分の唯一最大の目標である。

(国際社会科学専攻/国際関係)

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