HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報543号(2011年12月 7日)

教養学部報

第543号 外部公開

<駒場をあとに> ただ感謝あるのみ――駒場三〇年

山内昌之

543-D-6-1.jpgあしかけ三十年ほども駒場で過ごすとは思いも寄らないことだった。これまでの人生のほぼ半分を同じ 職場でまっとうできたことは無上の幸せというほかない。しかし、これほど研究や教育の環境として恵まれた場所にいながら、自分が予定していた仕事を満足に 果たせなかったことに恥ずかしい思いを禁じえない。確かに、書物や論文をいくつか書くには書いた。

それでも、最後にまとめようとしていた学術書は完成にいたらないまま、駒場を去ろうとしている。本来であれば、中東の国際関係史や地域研究に関わる仕事 をまとめて多少の社会的責任を果たすつもりであったが、非力のために叶わぬことになった。とはいえ、今は何も駒場に思い残すことはない。

もっと仕事をする決意をすれば果たせるはずの快適な環境にいて学術的な成果を出せないのは、能力もさることながら意志力が薄弱だからである。きちんと毎 日時間をつくって執筆に打ちこめばよいのに、小さな俗事にいろいろ関わるから本格的な学術書を最後に書き上げる余力を残せなかったのだろう。

このように、自分の怠慢を認めるのにやぶさかではないが、率直にいって加齢ということも影響しているに違いない。むかしの制度では退官した六〇歳から四 年も経ってから大学を辞めるのである。私の場合には、率直にいって還暦を越えてから、とみに気力、体力、知力の衰えを急に感じるようになった。持続力や耐 久力が減退したのである。これはスポーツでいう心技体のいずれも衰えたことに等しい。

東大の場合は、旧制度の六〇歳退職がいちばんふさわしいように思えてならない。とくに一九歳の学生もいる若々しい駒場で私のような高齢者が少年少女たち に接するのは申し訳ないことであった。余力を残して去るというのは、どの職業でも大事なことであるが、六五歳で余力を残せるという学者は相当な力量の持ち 主であろう。また、世代間ギャップもひしひしと感じることも多い。むかしの駒場では専門性に優れているだけでなく、基礎的な教養知識や人間性も豊かな大学 院生が多かった。学問の広域性とリベラル・アーツを標榜した駒場の良き時代である。

しかし、若い研究者が就くべきポストをいつまでも塞ぐのは、常に最前線の研究水準を保ちながら教育と発信にあたるべき東京大学教授にあっては好ましいこ とではない。六五歳退職に制度変更がおこなわれたとき、私は“改革”に責任をもつ立場にいたせいもあり、かすかな疑問をもちつつも正面から反対意見を述べ ることはなかった。今となっては悔いが残る次第である。自分もその恩恵に浴して馬齢を重ねたのは慙愧の念に堪えない。それだけ駒場の居心地がよかったから でもあろう。何も文句の言えた義理でもないのだ。ただ、大学院やポスドクで滞留している若い研究者たちは、高齢化の進む東大社会をどのように眺めているの だろうか。私たちも虚心に思いをめぐらす必要はあるだろう。

学生や大学院生が優秀なのは改めて縷説するまでもない。そして、私が赴任したときの駒場の先生方から受けた学恩や刺激は大きく、すでに物故された方々を 含めて表情やたたずまいは今でもありありと瞼に浮かぶのである。幾多の新分野を開拓し発展させた天才的な世代との出会いがなければ、私も現在のような歴史 学者になっていなかったに違いない。朝から晩まで古文書やマニュスクリプトや刊本ばかりを読んでいた若い学者の可能性を広げてくれた駒場の知的環境と、私 を採用してくださった先生方の御恩には感謝あるのみである。歴史学関係に限れば幸い板垣雄三、小島晋治、勝俣鎭夫などの諸先生は御健在であるが、木村尚三 郎と西川正雄の両先生がすでに鬼籍に入られたのは無念である。

体力や気力や知力が減退したのは、四年ほど前に荊妻を失ったこととも無関係とはいえない。私の研究関心を熟知し、仕事や学問のペースを理解していた彼女 を失ってから、心の内面に空白が生じたのは否めない。  生きがいになる存在がなければ、なかなかに充実した研究の日々を過ごすことはできず、学問への知的な刺激も乏しいものになる。分身でもあった人間を失う のは自分の腕をもぎとられるよりもつらいことだ。しかし無事に定年退職を迎えるいま、泉下の荊妻も莞爾として笑みを浮かべてくれるに違いない。

長い研究生活は、自分の力だけで果たせるはずもなかった。同僚であり友人でもある人間に恵まれた駒場は本当に素晴らしかった。ワープロやパソコンの苦手 な私を懇切にコーチし助けてくれた三谷博、山本泰、恒川恵惠市の三教授にはこの場を借りて心から謝意を表したい。三氏の友情があって初めて私の研究や執筆 が可能になったのである。

東大退職後も、ささやかながら研究や執筆を続ける一方、やや異なる環境で多少の社会貢献に努めたいと願っている。三〇年の間に出した仕事の意味につい て、自分で判断することはできない。評価はあくまでも他人の役目であり、私としては黙ってそれに従うしかない。さながら、福沢諭吉に「瘠我慢の説」をつき つけられた勝海舟の心境でもあろうか。「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」。

いずれにせよ私は、残された日々に、暮れなずむ駒場の建物の陰で過ぎ去った思い出にふけり、時によみがえる歌の詞を思い浮かべながら、愛する駒場を去る ことだけは確実なのである。Old soldiers never die; they just fade away.

(地域文化研究専攻/歴史)

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