HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報543号(2011年12月 7日)

教養学部報

第543号 外部公開

<送ることば> 山内先生を送る

井坂理穂

私が山内昌之先生に初めてお会いしたのは、おそらく学部一年のときに受講した「東洋史」の授業で、 場所は十三号館の大教室であった。アルメニア・アゼルバイジャン紛争の複雑な歴史的背景についての説明から始まり、あっという間に九十分が経過したのを覚 えている。私も含め、この授業で先生のファンになった者たちは、まもなく先生の少人数ゼミナールにも参加するようになった。そんな我々にとって、ひそかな 楽しみでもあり自慢でもあったのは、ゼミの打ち上げが先生のご自宅で開かれることであった。先生と奥様が温かく迎えてくださり、みなでごちそうをいただき ながら遠慮なく話し続け、気がついたときには終電の時間近くになっていた。我々のぶしつけな質問にも、先生と奥様がにこにこと対応してくださった様子が今 も鮮明に思い出されるだけに、奥様が亡くなられたことはいまだに信じがたく、先生にとってどれほどおつらいことであったかと思う。

ゼミ生のなかには研究職に残った者も多く、顔を合わせたときには、あのゼミやパーティのことをよく振り返る。これは先生ご自身も口にされていたのだが、 先生は教養学部という場で、様々な年齢層の学生と交流し、刺激を受ける機会があることを大切にされていた。先生の授業があれほどおもしろかったのは、優れ た研究者でいらっしゃると同時に、学生の声を積極的に聞いていらしたからであろう。

今回「送る言葉」を書くにあたり、数々のご著書を読み返しているうちに、改めて先生の業績に圧倒される思いがした。学部時代に『スルタンガリエフの夢』 を初めて読んだときに、新たな視点からのロシア革命像や、スルタンガリエフの思想と悲劇に心を揺さぶられ、歴史研究のおもしろさを実感したことをありあり と思い出す。その後、ソ連が崩壊していくなかで、『ラディカル・ヒストリー』『瀕死のリヴァイアサン』をはじめとして、ロシア史とイスラーム史を結ぶ先生 のご研究は、それまで以上に広範な人々からの注目を集めるようになった。

学内業務に加えて、マスコミや政府関連のお仕事でもお忙しそうであったが、そうしたなかでも先生は精力的に執筆活動を続けられ、研究書のほかに、評論、 書評などを次々と発表されていた。歴史の魅力を存分に伝える書物・人物紹介、世界情勢についての鋭い分析、ユーモアを交えながらの教養あふれる語り口など に触れるたびに、いったいどうやってこれほどのお仕事をこなされているのだろうと信じられない気持ちになるのは、今も昔も変わらない。

私自身が教員として駒場に戻ってきてからは、恐れ多いことに先生の隣りの研究室で仕事をすることになった。先生の気さくなお人柄のおかげで、まもなく日 常的に「雑談」ができるようになり、スポーツや芸能(ゴシップも含め)にもかなりお詳しいことに驚いたり(しかもどの分野についても一家言をおもちであ る)、おもしろいエピソードやコメントで笑わせていただくこともしばしばだった。

また、先生が周囲に対して細やかなお心遣いをなさっていることも印象的であった。私自身はできの悪い学生のままで、なかなか進歩しないのだが、先生から 直接・間接的に教えていただいたことは、懐かしい思い出の数々とともに、私にとって大きな財産である。感謝の気持ちをお伝えするとともに、先生のますます のご活躍をお祈りしたい。

(地域文化研究専攻/歴史)

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