HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報543号(2011年12月 7日)

教養学部報

第543号 外部公開

<送ることば> 湯浅博雄先生を送る

原和之

たぶん一号館だったと思う。傾いた秋の陽光が白々した蛍光灯の光と入れ替わる刻限。今ではめっきり 減ってしまった旧式の机と椅子は、「固定式」とは名ばかりで、すこしでも身じろぎすれば後ろの机をぐらぐらと揺らしかねない。その椅子の上に落ち着かぬ腰 を載せて、後期課程のフランス科に内定したばかりだった私は、他の内定生らとともに原書講読の授業に参加していた。

読んでいたのは、バタイユの『呪われた部分』だったか、ひょっとするとその翌年に先生ご自身がなさった翻訳が出版された『エロティシズムの歴史』だった かもしれない。入学当初の進路志望に確信がもてなくなって、フランスの現代思想への興味の赴くままに選んだ進学先だったが、内定するなりはじまったフラン ス語での授業で同級生や先輩の優秀さを目のあたりにして、多少はできる気になっていたフランス語の不十分さをいやというほど思い知ることになった。そんな 私にとってそのテクストは、フランス語という点でも内容という点でも、けっして容易なはずはなかったのだけれども、それでも挫けず読み続けられたのは、そ の授業の雰囲気によるところが大きかったように思う。

ひたすら穏やかな授業だった。日中キャンパスに学生があふれていた時とはうってかわって静かになった空気のなかで、柔らかな声で淡々と解説が続けられて ゆく。ご存じのとおりバタイユの思想の中味は、穏健というにはほど遠い。しかしそうした不穏さに、こうして呑み込まれることなく丁寧に、そして静かに向き 合うという道もあるのか。フランス現代思想の流行のなか、当時学生の間で交わされていた華々しいやりとりはしばしば、その実教祖と奉った思想家の口写しに すぎなかったのだが、そうした人たちに伍して果たして自分はやっていけるのかという疑念に苛まれていた学部の二年生にとって、それは「思想」の全く別のあ り方を垣間見た瞬間だった。

そうした姿勢が、湯浅先生のお仕事のベースとなっているフランス文学、とりわけランボーの研究から来ているのだろうと見当がつくようになったのは、もう 少し後の時期になる。私自身はその後留学などもあって駒場からしばらく離れていたのだが、後輩たちの話を聞く限り、授業のスタイルは一貫していたようだ。 難しいテクストを、闇雲に有り難がるのでも単純化して理解するのでもなく、そこに含まれる〈他なるもの〉に注意しながら一歩一歩読み解いてゆくという作業 は、時にたいへんな重圧を伴うものであったに違いないが、そうした困難な作業に立ち向かう湯浅先生の姿に、授業のなかで、あるいは幸運にも翻訳の共同作業 のなかで触れることの出来た学生たちからは、何人もの優秀な研究者が育ってきている。

また私が駒場に着任してからは、今度は同僚として、学生指導のみならず研究でも着実に成果を挙げられ、さらには私を含む元学生たちの仕事に真摯な関心を寄せて下さり、時には合評会などにまで足を運んで下さるのを見るにつけ、文字通り頭の下がる思いであった。

のちにうかがったところによると、私がフランス科に内定した年は、湯浅先生が駒場に着任された年でもあったらしい。ずっと以前から駒場にいらしたような 気がしていたので、意外に思ったのをよく覚えている。「先生」をめぐっての、ありがちな錯覚というべきかもしれないが、いつまでも駒場にいらっしゃるよう な気がするという、もう一つのありがちな錯覚も、この三月には厳しい現実に直面することになる。ただ聞くところによると、ご退職後は若い研究者たちと、読 み応えのあるテクストを「一生懸命」読む読書会を開きたいとの希望をお持ちらしい。ぜひこれが実現して、あの静謐な時間を共有する後輩たちが増え続けるこ とを、心から祈っている。

(地域文化研究専攻/フランス語・イタリア語)

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