HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報544号(2012年1月11日)

教養学部報

第544号 外部公開

〈駒場をあとに〉 「人生は歩きまわる影法師 あわれな役者......」

林文代

駒場にお世話になってはや二十四年になります。ほとんど四半世紀もの時を駒場とともに生きることができた喜びを、いま改めて感じています。

まず最初に、駒場キャンパスの自然。春は正門の守衛室の横の大きな桜の木を筆頭に、裏の土手一面を多い尽くす桜並木の花曇。夏は青々と、トトロの森の様 に茂る高い木々。秋は言うまでもなく文字通り黄金色に染まる銀杏並木。そして冬は澄み切った青空一面に幾何学模様を描く木々の枝々。こんな美しいキャンパ スが東京の真中にあることは一種の奇跡です(もちろんその奇跡を存在させているのは駒場の人々ですが)。気分の良いときもそうでないときも、駒場の木々や 草花にどれほど心慰められたかわかりません。

さらにはすでに記憶の中にしかない建物たち。二十四年前には確かにあった正門右手の人気のない野原を進んでいくと、突然現れた(ふたたび)トトロの子供 たちの家のような、白いペンキの剥がれた平屋の洋風作りの保健センター。そこから少し戻ったところにあった通称一研。すでに研究室としては使われていませ んでしたが、時折開かれる英語(部会ではなく)教室の会議がある時は、その黴臭く湿気の多い、歩くとギシギシと音がして空虚に足音が鳴り響くのが怖かった あの廊下の油臭い匂い。その隣にあった駒場寮。雨が降るとぬかるんだり水浸しになる構内のあちこち。

そして九号館二階の陽当たりの良い英語教室談話室。ここでは英語教室の大先輩たちが昼休みに、授業の合間にふと立ち寄られ、和やかに過ごされたのでし た。そこでさり気なく、笑い声とともに交わされる会話には教養学部の名に相応しい教養が、そこはかとなく漂っていたのです。(ちなみにタイトルは小田島雄 志訳『マクベス』第五幕第五場からの引用ですが、小田島先生は談話室を笑いで満たす達人のお一人でした。)

いつしかデコボコ道は整備され、図書館をはじめ新しい建物が造られて、研究室も九号館二階の狭い二人部屋時代を過ごされた先生方に羨ましがられること必 至の明るくきれいな十八号館に移りました。なにもしないでその恩恵を蒙っている私などは、存在するものの歴史を尊重しつつ、将来を展望し、変えるべきこと を変えていくキャンパス整備や駒場の将来構想を検討し、実行されてこられた先生方や職員の方々のご尽力にただ感謝あるのみです。

変化は建物だけではありません。何より嬉しい変化は女性教員数の増加です。まだまだ絶対的に少ないとはいえ、二十四年前に私が着任した頃は、女性教員数 は一桁でした。ですから「駒場女性教官の会」という会があり、一人増えたといって喜んで歓迎会を開いて下さったほどです。女性教員の増加とともに会は自然 消滅しましたが、今後も優秀な研究者・教育者が女性だからといって敬遠されることなく駒場で活躍できる機会がいっそう増えることを願って止みません。

この四半世紀はまた、大学のあり方や教養学部のありかたが日本中で問い直さ(せら)れ、英語Ⅰの開始、大学院大綱化など、息つく暇もないほどに目まぐる しい変化の時代でした。直接関わられた先生方や職員の方々の努力のお陰で多くの改革が結実し、私は新たに設立された言語情報科学専攻に所属することになり ました。英語部会以外の先生方と専門の領域を超えて接することは、多様な考え方を伺える貴重な経験になりました。また二〇〇四年からは新しく始まった駒場 の文系・理系五専攻横断型大学院「人間の安全保障プログラム(HSP)」に運営委員として参加し、多分野の先生方や社会人、外国人の院生の皆さんとご一緒 できたことは嬉しい経験でした。

もちろん教室では英語、専門科目、大学院ゼミなどで毎学期多くの学部生や院生の皆さんと出会いました。最初の年に担当した一年生が今では不惑を過ぎた年 齢というのはかなりショックですが、多少なりとも同じ教室の空気を吸った人たちがどこかで活躍している(していなくてもいいですが)と思うと嬉しい限りで す。振り返れば駒場という場所は、多くの人々との出会いを実現させてくれた場所でした。まさに文理の壁も学部・大学院の枠も越えるという駒場の理念を経験 することができたと思います。

ただ残念なことは、駒場の英米文学研究者の数が近年激減していることです。とりわけ米文学研究者は限りなくゼロに近づいています。学問にも流行り廃りが あることは承知してますし、新しい学問の台頭も、新領域の研究の発展も喜ばしいことです(宇宙誕生の謎とか生命誕生の謎などが近い将来明らかになると思う とワクワクします)。同時に人の精神性に関わる分野は古くて新しいものであり、理系文系にかかわらず重要なものです。その精神性に関わる文学研究は、した がって、古い時代のものであっても今の十八歳にもしっかりと受け止められるはずですが、まさに最近文学に関心を持つ若い人たちが少し増えている気がしま す。流行が目まぐるしく変化する中で、今まで知らなかった文学というものが面白いことを、若い人たちが発見しつつあるらしいのです。彼/彼女たちがこれか らも文学に関心を持ち続けてくれることを、切に願います。

駒場は、古いことも新しいことも、自然科学も社会科学も人文科学も全部勉強できる稀有な場所です。「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、舞台の上 でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう」というマクベスの科白のごとく、駒場は一時留まって歩きまわることを許された舞台でありました。 このすばらしい舞台の上で過ごせたことは、マクベスの科白とは多いに異なり、十二分に「意味のある」ものでした。駒場の自然と学問環境に感謝し、一層の御 発展を心から祈念します。

追伸:かつて(当時の)広報委員長として「学部報」編集に関わりました。駒場の貴重な財産の一つである「学部報」にも大きなエールを送ります!

(言語情報科学専攻/英語)

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