HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報545号(2013年4月 3日)

教養学部報

第545号 外部公開

ラテンアメリカ料理紀行

木村秀雄

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アンデスの万聖節(ボリビア・ラパス県)
南アメリカで調査を始めて三十年以上になる。南アメリカの魅力の一つはコントラストの強さである。 大都会の途方もない富と、僻地のこれ以上ない貧困。西欧の文化と見分けのつかない都会文化と、まるで時間が止まったかに思える先住民の文化。人類学者とし てアンデスの山の中やアマゾンの森の中に暮らし、資料の収集や研究者との情報交換のために都会に滞在すれば、僻地と都会のコントラストには目眩を覚えるほ どである。この両方を視野に入れなければ世界を理解したことにはならない。このコントラストこそが今の世界の現状だからである。

僻地での私の生活は都会とは当然全く違ったものになる。ブラジル・アクレ州の奥地に向かって川を遡るときには、キロ売りしている何十キロもの古着、ライ フルの弾や散弾銃の火薬、釣針や釣糸、米などの食料、コーヒーなどの飲料を町で買って船に積み込む。金銭があまり流通していない奥地では、これを配ること で川沿いの見知らぬ家に泊めてもらうのである。一番人気があるのは衣料であり、同じところを再度訪ねる予定がある時には、投網やラジカセを買ってくるよう に頼まれることもある。
 

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アマゾンの川魚(ボリビア・パンド県)
アンデス山中の先住民の村を訪ねるときにも、既に知り合いになった家族を訪ねる時には基本的にやり 方は変わらない。アンデスでは弾丸・釣針や衣類は必要とされないから、持って行くものはほとんどが町で売っている食料品である。特に人気があるのがマカロ ニで、人々はそれをクタクタに煮たものが大好きである。酒やコカの葉、タバコも以前は必需品だったが、プロテスタントに改宗する人がふえたために、かつて ほど人気がない。

しかし、数ヶ月にわたって滞在するときには、全く違ったことになる。アンデスでもアマゾンでも、人々の家に長い間泊めてもらうことになれば、基本的に彼 らと同じものを食べることになる。主食はアマゾンでは料理用のバナナ(プランテーン)やキャッサバ(マニオク)を茹でたもの、アンデスでは茹でたりスープ に入れたりしたジャガイモ、または乾燥トウモロコシを茹で戻したものである。アマゾンではそれに川魚や野生動物の肉がつくことがある。とにかく単調で、と きどき町の食べ物が無性になつかしくなる。

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ロコト・レリェーノ(辛いパプリカの肉詰め)
そんな僻地から久しぶりに首都に出てくると、料理の味やバリエーションの多さに圧倒される。ラテン アメリカ諸国の文化は、大陸を征服したスペインやポルトガルの伝統、先住民の文化、かつて奴隷として使役されていたアフリカ系の人々の文化が混ざり合って いる。それに加えて19世紀になってからこの大陸に殺到してきたヨーロッパやアジアからの新しい移民の文化も加わっている。中華料理や日本料理のレストラ ンも至るところにあるし、ブラジルのサンパウロにおけるお薦めの料理はアラブ(レバノン)料理とイタリア料理である。アフリカ系の色彩の強い北東部バイア の料理も捨て難い。

そんな中で、ラテンアメリカ料理の中で最も洗練の度合いが高く日本人の口に合うのはペルー料理であると信じて疑わない。ペルーの首都リマはかつてのスペ インによる南アメリカ支配の拠点であり、国王の名代である副王の都であった。料理というのは、皇帝や国王といった絶対権力者が贅沢の限りを尽くしたところ でしばしば発展するものである。フランスや中国やトルコの料理が世界の三大料理と呼ばれたりするのを見ればそのあたりの事情はよくわかるだろう。

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クイ(モルモット)の串焼(ペルー・クスコ県)
ペルーには、アマゾンの熱帯林地帯、アンデスの高地、それにフンボルト寒流の流れる海岸地帯と、比 較的近い範囲に多様性に満ちた自然環境が存在する。当然、食材の種類も多い。魚介類の辛口マリネであるセビーチェ、茹でたジャガイモに辛みの少ないトウガ ラシソースをかけたパパ・ア・ラ・ワンカイーナ、ウシの心臓の串焼きアンティクーチョ、比較的暑いところの果物チリモヤのシャーベットなどは、日本人に人 気のあるペルー料理である。

そして最近では、料理にヨーロッパや北米流の盛りつけ、飾り付けを施した美しいペルー料理が増えてきた。日本料理の技法を使ってペルー料理を作りヨー ロッパでも話題になったペルー在住の日本人料理人もいる。このような新しいペルー料理をフュージョン料理と呼ぶ。一番人気のある料理人ガストン・アクリオ のレストランであるラ・マールに行くと、別世界に迷い込んだ気分になるほどである。

かつて初めてアフリカに行ったときには、ラテンアメリカより厳しい自然環境や生活のあり様にショックを受けたし、最近仕事を始めたバングラデシュでもその人の多さと貧しさに心を揺さぶられた。世界廻りはまだやめられない。

(超域文化研究専攻/スペイン語)

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