HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報545号(2013年4月 3日)

教養学部報

第545号 外部公開

2011年度ノーベル化学賞:ダニエル・シェヒトマン「準結晶の発見」

時弘哲治

本年度のノーベル化学賞は、準結晶(quasicrystal) と呼ばれる固体の新しい構造を発見したイスラエル工科大学特別教授のダニエル・シェヒトマンに授与されました。固体には分子が規則正しく並んだ結晶と無秩 序に並んだアモルファスと呼ばれる状態があります。「規則正しく」とは、たとえば正方格子(図1)のように、最小の構成単位(正方格子では正方形)が繰り 返し並び全体を埋めつくしていることを意味します。無限にひろがる正方格子では、この正方形の辺の長さの整数倍だけ縦または横にずらすと、もとの格子に重 なります。

545-B-6-3-01.jpg

図1.正方格子
このように一定の方向にずらして重なる性質を並進対称性と呼び、結晶は並進対称性を持つ分子配列か らなる固体です。また、正方格子はひとつの正方形の中心を回転の中心として90度回転させると重なりますが、この性質を回転対称性と呼びます。格子が並進 対称性を持つとき、共存する回転対称性(三次元なのである軸を中心に回転させて重なる性質)は六〇、 九〇、 一二〇、 一八〇度回転の四種類のみです。 この事実は初等的に示すことができます。

 

固体の構造を調べるにはX線を照射してその回折像を見ることが一般的です。結晶の像は強い点スポットを持ち、それに対してアモルファスは全体的にぼんや りした像になります。強い点スポットが現れるのは結晶の並進対称性のため特定の方向の反射波が強めあうためで、その点スポットの位置から分子の配列がわか ります。

特に重要なことは、その結晶の回転対称性を反映することです。結晶の回折像には上記の四種類の回転対称性を持つスポットしか現れません。ところが、一九 八二年、シェヒトマンは、アルミニウム・マンガン合金のX線回折像に72度の回転対称性から生じる点スポットを発見しました(図2)。さらに、詳しい解析 により、この合金の分子配列は正二〇面体の対称性を持つことを見出しました。多くの偉大な発見がそうであったようになかなか周囲に認めてもらえず、追実験 を繰り返した後、一九八四年に Physical Review Letters 誌に「Metallic Phase with Long-Range Orientational Order and No Translational Symmetry」と題し協同研究者三人との共著で報告しました。

545-B-6-3-02.jpg

図2.Al-Mn合金のX線回折像(D.Shechtman et al., Phys.Rev.Lett.53 (1984) p1952より)
その直後に、ペンシルバニア大学のシュタインハルトとレバインは、この合金は、構成分子が準周期性 を持って配列した、結晶ともアモルファスとも異なる固体の状態であると主張する論文を同誌に掲載し、その論文内でquasicrystal と名づけました。 シェヒトマンの論文が出版社に届いたのが十月九日で出版されたのが十一月十二日号、シュタインハルトたちの論文が届いたのが同年十一月二日で出版が十二月 二四日号ですから、シュタインハルトたちは、おそらくプレプリントを読んでほとんどすぐに論文を投稿したものと考えられます。1989年だったと思います が、シュタインハルトになぜあんなに早く準結晶の概念に辿りつけたか尋ねたところ、「あの論文は、ずっと前から机の中にあった」との答えが返ってきまし た。彼はもともと宇宙論を専門とする理論物理学者だったのですが、趣味で、現在準結晶として知られる配列を考案していたのです。

準結晶の構造は三次元空間内での配列であるためなかなか想像しにくいのですが、これに対応する二次元の配列としてペンローズ格子があります(図3)。ペ ンローズ格子は、理論物理学者でツイスター理論でも有名なロジャー・ペンローズが考案したもので、図のように二種類のひし形によって平面全体をすきまなく 埋めつくしたものです。図からわかるように、正五角形の持つ対称性、すなわち七十二度の回転対称性を持っています。もちろん並進対称性はありません。 準結晶はペンローズ格子を三次元に拡張した構造を持つといえます。並進対称性を持たないのにX線回折像に強い点スポットが出る理由は、数学的には準周期構 造のフーリエ変換がX線回折像だからです。もう少し感覚的には、準結晶は実は六次元空間の結晶の三次元的な断面なので、結晶同様な点スポットが見える、と 言ってもいいと思います。

545-B-6-3-03.jpg

図3.ペンローズ格子
筆者は、準結晶発見の翌年から数年間準結晶の研究に携わりました。生まれて初めて講演した海外での 国際会議が、一九八七年のアメリカ、サンタバーバラでの準結晶に関する国際会議だったのですが、この会議には、単独で二度のノーベル賞を受賞し、ワトソ ン、クリックとDNAの構造決定を争ったことでも有名な、ライナス・ポーリングも出席していて、非常に複雑な数百個の分子配列を示し、このように並べた構 造を作れば準結晶を考えなくてもX線回折像を説明できると主張していました。当時はまだ準結晶の存在に懐疑的な人も少なくなかったと思います。ポーリング は八五歳くらいでしたが、かくしゃくとしており、「この間引退した私の学生が……」と言っていたのが記憶に残っています。また、デービッド・マーミンは正 二十三角形以上の対称性がなければ群論的に異なる準結晶は存在しないことを円分体の類数を用いて示し、固体物理学で数論の概念が使われることに驚いたもの です。後にこの結果は液晶における筆者の研究に大きな影響を与えました。筆者はその後まったく別の分野へと進んだのですが、準結晶の研究は現在も多方面で 行われており、ときどき研究集会の案内を目にします。今回のシェヒトマンのノーベル化学賞受賞の報を受けて、昔の記憶がよみがえり感慨にふけったところで す。

(数理)

第545号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報