HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報545号(2013年4月 3日)

教養学部報

第545号 外部公開

船曳建夫先生を送る~心を豊かにする知性

関谷雄一

昨年(平成二十三年)晩秋、私は文化人類学研究室の会議に遅れて駆け込み、空席を見つけ、とにかく 座った。顔を上げると対面には船曳先生の穏やかな笑顔があった。私は駒場の教員として着任し漸く一月余りが経過した頃で、慣れぬ仕事に懸命に食い下がって いる状態であった。遅刻した上、久しぶりに間近に見る恩師と目が合ってしまった私は動揺したが会議は粛々と進行していった。一方、私の頭の中を過ぎったの は不思議と学生時代以来の先生との交わりの断片だった。

教養学部で船曳先生の講義に魅了された学生は私だけではないだろう。初めは真剣でなかった学生も、いつの間にか先生のお話に引き込まれていた。先生の一 挙一動に潜む意味を見出そうとする仲間もいたくらいである。ある期末試験で解答用紙は配られたものの、問題用紙がなく戸惑っていると、船曳先生が颯爽と登 壇され、「ふぅむ」とひとしきり悩ましげな顔をされた後、さらさらと難題を板書されて、私を含む多くの学生の度肝を抜いた。今思えば、あの即興出題は歌舞 伎や文楽等、芝居を嗜みとされる先生の演技だったのかもしれない。

船曳先生は文化人類学者として太平洋の島々(バヌアツ、ニューギニア)、日本(山形県)、韓国、中国でフィールドワークをされ、祭祀や儀礼そして社会構 造について研究をしてこられた。特に儀礼研究では学問上重要な業績を多く残されている。船曳先生の全学自由研究ゼミナール「儀礼・演劇・スポーツ」は、教 養学部の看板授業であり、履修した学生は数知れず、駒場の話題を席捲した。

ベストセラー『知の技法』(一九九四年、東京大学出版会)を出版された頃、先生は取り分け御多忙であった。メディアにもよく登場されるようになり、当 時、大学院に進学した私にとり益々雲の上の方となった。しかし指導教官を探すことに困っていた私を拾ってくださったのも先生であった。アフリカの農村で調 査に行き詰まり、悩んでいた私のもとに届いた先生の励ましの手紙は今でも持ち続けている。御多忙でも学生一人一人の性格と状況に合わせた接し方を忘れない 先生の教師魂に気付いたのは恥かしながら自分が教壇に立ってからであった。

学部後期及び大学院の船曳ゼミも闊達な議論の場を提供し多くの若手研究者を鍛えた。「柳田國男全集を全て読む」講座、「植民地と帝国」ゼミ等には、文化 人類学専攻の学生のみならず、今や我が国の論壇を背負って立つ研究者や実業界の時代の寵児として活躍することになった若者も集まってきた。文化人類学の博 士課程の学生を対象に先生のご発案で始まった「博士論文 Writing-up セミナー」は、フィールドから戻り、もはや書くことによってしか救われない者たちの支えとなった。

今度は駒場でご一緒に仕事をする機会ができると期待した矢先に定年で研究室を去られるのを知り、至極残念でならない。文芸を嗜み、研究と教育を通して人の心を豊かにする知性を説いてこられた先生がこれからも多方面でご活躍なさることを信じてやまない。

(超域文化科学専攻/文化人類)

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