HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報546号(2012年4月 4日)

教養学部報

第546号 外部公開

新入生へ贈る言葉 「極限」を生きる

濱田純一

546-A-1-1.jpg新入生の皆さん、東京大学への入学おめでとうございます。東京大学のすべての教職員とともに、心からお祝いを申し上げます。大学という、知の継承とともに知の新たな発見と創造の楽しみに溢れた世界で、皆さんが実り豊かな学生生活を過ごされることを願っています。

さて、「『極限』を生きる」というこの小文のタイトルを見て、皆さんは何を想像したでしょう。極地での生活? あるいはサバイバル生活? でしょうか。実は、これは、これから大学で「学問」に向き合おうとする皆さんに、身近なものの一つとなるはずの感覚です。もっとも、皆さんにしてみれば、厳しい受験勉強の中で、もう「極限」を経験してきたと言うかもしれません。しかしここでは、体力気力知力の極限の話をしようというわけではありません。そうではなく、いわば「思考方法としての極限」の話をしたいのです。この意味での「極限」は、学問の揺籃です。

私の専門分野は、「情報法」という法学の一分野です。法律の世界ではしばしば、通常起こる事例だけでなく例外的に起こる極端な事例も想定しながら、法律の条文や法解釈の論理を考えます。例えば経済取引において、すべての人が善意で、また十分な情報をもって合理的に行動するのであれば、法律の規定ぶりはもっと簡明でよいのかもしれません。しかし、現実の人々の性格や能力や行動の仕方は実に多様です。経済取引ではどういう事態が起こるか分かりません。起こりうる一番極端な事例、つまり「極限」にもできる限り対応できることを想定しながら、法は作られます。

私がとくに研究を行ってきた「表現の自由」の領域でも、「極限」を想定することで、その輪郭が顕れてきます。私たちが日常一般的に行っている言論を考えれば表現の自由が保障されるのは当たり前のようですが、たとえば、人種差別的な表現、民主主義を否定するような表現、あるいは一年前の大震災直後のように人々の気持ちが不安になっている時の流言飛語、こうしたものにも表現の自由は認められるべきなのでしょうか。このような「極限」のケースに対する問いかけを突き詰めて行くと、この自由の本質とともに、自由が息づいている社会のありようまでも照射されてきます。

こうした「極限」への視座が求められるのは、文系の分野だけに限られません。理系でも、「極限」的な状況を設けることは、しばしば見られる研究方法になっています。三百年あまり前、ニュートンが庭のリンゴの木から実が落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したという、有名な逸話があります。この木から分譲された苗木をもとに接ぎ木したものが、理学系研究科附属の小石川植物園の中で育っていますが、この逸話は、日常的な事柄をよく観察していればそこから真理を発見することが出来るという、科学する心の原点にある教えを含んでいます。この教えは科学者の基本の構えとしてとても大切ですが、現代科学のすさまじい進歩の中では、そうした牧歌的な発見の機会はきわめて乏しくなっています。今日の実験室では、たとえば、素材を超高熱ないしは極低温の中に入れる、あるいは超高圧、強磁場の中に置くといったように、「極限」の環境を設けることによって、物質の特性をよりよく測定し解析したり、あるいは、新しい物質を発見ないし開拓したりといった取組みが行われています。

もっと社会的な視点をとると、昨年三月一一日に起きた東日本大震災も、私たちを「極限」という条件の中に置いたと言えます。何より、生命というかけがえのない価値が失われ脅かされるという極限状況の中で、現代社会の日常では失われつつあるようにも思われていた絆や助け合いなどといった価値が、改めて確認されたということもありました。「極限」が、人間の本性を引き出したとも言えます。

学問もまた、この震災で「極限」を突き付けられました。「想定外」という言葉がしばしば使われましたが、ある技術や制度や社会的判断の仕組みは、多くの場合、一定の条件設定の中での合理性を基準に組み立てられています。しかし、本来、条件設定を越えた「極限」とつねに向かい合うべき学問の世界において、地震や津波の予測、あるいは防災のシステムなどがもっとうまく機能しえなかったのか、あるいは、原子力の安全性についてもっと突き詰めることが出来なかったのか、これらはいま研究者が真摯に向き合うことを求められている課題です。

このように、皆さんも、これからの大学生活の中で、自ら意識的にいろいろな「極限」との出会いを作りだすことによって、自分の思考を鍛えていってもらいたいと思います。それはたしかに、知的精神的な緊張を必要とすることですが、それが、高校までの勉強との大きな違いということでもあります。皆さんが時を経て大学を離れる時に、ぜひとも、「自分は本当の学問に出会った」、という思いを持って卒業してもらえればと願っています。

(総長)

第546号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報