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最終更新日:2021.02.03

教養学部報

第550号 外部公開

日本手話開講によせて

伊藤たかね

日本で用いられている日本語以外の言語にはどのようなものがあるか、授業で学生に尋ねることがある。「日本全国で、日本で生まれ育った人々によって用いられていて、その言語の中に地域方言もあり、日本語とは異なる文法体系を持つ言語」という制限をつけるとなかなか答が出ない。この記事の読者は、タイトルを見ているから答はお見通しであろう。日本手話である。テレビで、ニュースその他に手話通訳がつくことも多くなったから、手話に接する機会は以前より増えているはずである。(ただし、テレビなどの手話通訳は、日本手話ではなく「日本語対応手話」を用いている場合も多いという[1]。)それでも、日本にこの少数言語を母語とする人々が存在することが広く認知されているわけではないというのが実情だろう。日本手話が、日本語の文法にそって単語をジェスチャーに置き換えたものであるとの誤解も根強い。

日本手話、アメリカ手話などの手話は、ろう者によって用いられている自然言語である。ほんの五十年ほど前まで、手話は、ろうという「障碍」のために「言語を用いることのできない」人々がコミュニケーションのために用いる少し複雑なジェスチャーだと考えられていた。母語として用いている人々自身にも、手話が複雑な文法体系をもつ言語であるという認識は必ずしもなかったと言われる。そのような中、一九七〇年代以降、言語学的な手話研究によって手話の文法構造が明らかにされるのと軌を一にして、言語脳科学的研究から重要な知見が得られるようになった。その中に脳内損傷によって失語症を患ったアメリカ手話の話者が、手話は理解できなくなったが、普通のジェスチャーでのコミュニケーションはできたという報告がある[2]。

すなわち、言語としての手話と非言語的ジュエスチャーとが異なる脳内処理がなされていることが示されたのである。活発な手話研究の成果により、手話が音声言語と同様の精緻な文法体系をもつ自然言語であることは今では議論の余地がない。人間とそれ以外の動物とを分ける最大の特徴の一つとして言語の使用があるということにほぼ同意があるとすれば、「言語を用いることができない」というのはいかに重大な誤認識であったことか。その誤りを見直すのに、言語科学の研究がいくらかでも役に立ったとすれば、言語科学はそれを誇ってよいだろう。

教養学部後期課程の改革に合わせて今年度冬学期から、日本手話を母語とする先生を非常勤講師としてお迎えして日本手話を語学として開講することになった。「外国語」というくくりの中で開講することになったのは、「手話学」「手話研究」ではなく、あくまで語学として言語そのものの習得を目的とする授業ということにこだわったからである。(むろん「外国語」とするのはおかしいけれど、それをいうなら「国」と言語を結びつける「外国語」という概念自体がおかしいのである。)後期課程のみ、週一コマの開講であるが、日本手話とその背景にある文化について、さらには手話全般について、理解が進むささやかな一歩となることを期待したい。

(言語情報科学専攻/英語)

[1]木村晴美 (2011) 『日本手話と日本語対応手話(手指日本語)――間にある「深い谷」』生活書院
[2]Cornia, D. et al. (1992) “Dissociation between linguistic and non-linguistic gestural systems: A case for compositionality,” Brain and Language 43, 414-447.

 

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