HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報554号(2013年2月 6日)

教養学部報

第554号 外部公開

駒場祭、鮮やかな撤収の美学

桜井英治

第六三回駒場祭が十一月二三日(金)から二五日(日)までの三日間開催された。初日は冷たい雨となって影響が心配されたが、二日目は曇のち晴、最終日は快晴、と天候は尻上がりによくなり、結果的には来場者数一一万五千人と、昨年を二万人も上まわる賑わいとなった。初日が勤労感謝の日と重なったことが、悪天を埋め合わせて余りある効果をもたらしたようだ。まずは無事大任を果たした第六三回駒場祭委員会の諸君と、連日彼らを温かく見守っておられた学生支援課の皆さんにお疲れ様、そしてありがとうございましたと申し上げたい。

554-B-1-2-1.jpg 554-B-1-2-2.jpg

今回は、駒場祭委員会が自主的に全企画での酒類の取り扱いと、キャンパス内への持ち込みを全面禁止した初の駒場祭とあって、同じく今年度から全面禁酒を決めた一橋大の一橋祭(いっきょうさい)や法政大市ヶ谷キャンパスの自主法政祭とともに、早くから複数の新聞に取り上げられ、世間の注目を浴びたが、いざはじまってみると、例年以上の取材が殺到したというわけでもなく、やや肩すかしを食ったような印象だ。

もちろん、それはそれでよいとして、私たちとしては不安がなかったわけではない。今回の措置は、去る七月に教養学部生が飲酒ののち体調を崩して死亡した痛ましい事故をうけてのものだが、来場者のすべてがそのような事情を知っているわけではない。だから、飲酒に関しては正直多少のトラブルは覚悟していたのだが、幸いにもそれは杞憂であった。残念ながら飲酒者ゼロとまではいかなかったものの、確認された違反が来場者によるものを含めても三件ほどにとどまったのは、まずは上首尾といってよかろう。

554-B-1-2-3.jpg 554-B-1-2-4.jpg

今回、ノンアルコールビールを提供していた模擬店もあったにはあったが、その数はけっして多くなかった。今後飲酒解禁の要望が出てくるかどうかはわからないが、アルコールがなくても十分成り立つことを、参加した誰もが実感したにちがいない。 

むしろ虚を突かれたのは喫煙のほうで、会場エリアから死角になるある特定の場所が自然発生的な喫煙所と化してしまい(私も経験的にわかるのだが、喫煙者はそういう適所をよく嗅ぎわけるものである)、違反者を見かけるたびに注意し、また駒場祭委員会にも申し入れたにもかかわらず、結局最終日まで地面の吸い殻が減らなかったのは残念である。次回への課題となろう。

554-B-1-2-5.jpg今回の企画数は四五〇以上にのぼった。駒場祭委員会の本部企画としては、古賀茂明氏の特別講演会「日本は再生できるか?」、数理科学研究科の公開講座「『空間』へのアプローチ」、長谷川教養学部長特別講演会「東大のリベラル・アーツ」、博物館特別講座「観光のダイナミズム―ハワイから考える」などが開催され、いずれも好評を博したという。前回は一部しか使えなかった21 KOMCEEが今回から全面活用されたことも特筆されよう。

私自身は学生委員会の一員として、巡回業務をこなしながらの見物だったので、講演など長時間にわたる企画は断念せざるをえなかったが、それでも駒場祭を三日間通して見物したのは、学生・教員時代を通じてはじめてであったから、個人的にも貴重な体験をさせてもらった。評判のプラネタリウムも最終日に朝一で整理券を手に入れて、何とか滑り込めたのは幸いであった。 

近時の大学祭を象徴するのは、人はコスプレ、企画はゲーム、模擬店はチュロスと牛串であろうか。少なくともそれらは、昔の駒場祭ではあまり見かけなかったものである。昔見かけなかったといえば、さまざまなエコ企画、エコプロジェクトもそうだ。長い行列のできていた模擬店「サバエドッグ」は福井県出身学生による出店だそうで、廃油で石鹸をつくり、お世話になった鯖江市役所に送るのだという。エコ企画の特典は、プログラムで大きく紹介してもらえることだそうだが、もうちょっと何かあってもよいような気もした。

駒場祭委員会が学生サークル環境三四郎と提携して各模擬店に提供していたのは、サトウキビの絞りかす「パガス」を原料としたエコ容器である。これはそのまま肥料になるそうで、次の駒場祭には今回回収された容器で育てられた野菜が並ぶことだろう。このような未来につながる活動をみると、「君たちなかなかやるじゃないか」とつい声をかけたくなる。

なかなかやるといえば、最終日夕刻の撤収の鮮やかなること、これもまた驚きであった。あれほどあった模擬店があっという間に片付いて塵ひとつ残さないさまは、みごとというほかはない。この妙技をみられるのはまさに巡回者の役得である。翌日いくつかの教室も見てまわったが、こちらもまるで何ごともなかったかのような完璧な復旧ぶりであった。昭和の日本人は撤収下手だったけれども、いまの彼らはそうではない何かをもっている。この機動力は、やがて来るかもしれぬ苦難の時代にあって、それを乗り越える大きな力となるのではあるまいか。これはけっして冗談ではない。

(学生委員長/超域文化科学専攻/歴史)

第554号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報