HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報555号(2013年4月 3日)

教養学部報

第555号 外部公開

東日本大震災を忘れない

濱田純一

555-A-1-1.jpg新入生の皆さんに、東京大学へのご入学を心からお祝い申し上げます。これから皆さんが、東京大学という知的な魅力に溢れた世界の空気を思う存分に吸収して、実り豊かな学生生活を過ごされることを願っています。

そうした皆さんに、いま改まってうかがいたいと思います。一昨年の三月十一日、皆さんはどこで何をしていたでしょうか。また、何を思っていたでしょうか。「その時」のことは、きっとまだ皆さんの記憶に鮮明だと思います。

大地震、大津波、原発事故から二年あまりが過ぎましたが、復興への道のりは決して平坦なものではありません。他方で、この惨禍の記憶がしだいに薄れてきているようにも感じることがあります。時間の経過がもたらすこうしたギャップをいかに埋めていくことが出来るかということにこそ、今後の日本社会のありようが、そして私たちの生き方が問われていると、私は考えています。

改めていま、東日本大震災を「忘れない」、ということで皆さんに思い起こしてもらいたいのは、何よりもまず、死者・行方不明者が一万九千人近くにも上ったという事実、また、今日なお三〇万人を越える人たちが、不自由な避難生活を余儀なくされているという事実です。このすさまじい惨禍を日本社会が経験していることの重さを自らにかかわることと捉え、さらに、そこから復興へ向けてさまざまな形で苦闘を続けている人びとの姿を見、その思いを知ることは、皆さんがこれから大学での学びを始めようとする時に、学びの意味というものを考える上で大切なことです。

また、皆さんに「忘れない」でいてほしいのは、こうした惨禍を知ったその瞬間に皆さんが感じたであろう思いです。おそらく少なからぬ皆さんが、自分に何か出来ることはないだろうかと、反射的に考えたことと想像します。その思いをこれからも持ち続けてもらいたいのです。新しく入学した多くの皆さんはきっと、大学を出て社会の役に立ちたい、公共的な役割を果たしたいと考えていることと思いますが、その「社会の役に立つ」ということの原点が、震災時に感じた皆さんの思いの中にあるはずです。これから大学での勉学を続けていく中で、その時の思いを幾たびも思い返すことを通じて、「社会の役に立つ」ということの皮膚感覚を育んでいってもらいたいと願っています。

この大震災に際しては、学問の意味、とりわけ科学の意味、役割、責任ということも厳しく問われました。学問は、なぜ大震災や津波の被害を予測できなかったのか、あるいは原子力発電所の事故を防止できなかったのか。さらには、国民への情報伝達にあたって専門家として十分な役割を果たせたのかなど、多くの課題が残されました。そこには、学問の水準としてなお目指さなければならない高い目標が示されていることはもちろん、学問と人びととの間のコミュニケーションのあり方や科学者の責任についても課題が投げかけられています。そうした目標や課題を、これから学問というものに向き合おうとしている皆さんにぜひ共有してもらいたいと思いますし、また、そうしたことへの十分な理解を踏まえて、学問に向き合う覚悟を培っていってもらいたいと思います。

この東日本大震災にあたっての救援・復興には、東京大学の学生や教職員が数多くボランティアとして参加しました。ボランティアの皆さんは、瓦礫の片付けや溝浚い、支援物資の仕分けや被災地の皆さんの話し相手・相談相手などさまざまな活動をし、あるいは避難して学習環境に制約を受けている小中学生たちへの学習ボランティア活動も行ってきました。こうした活動を経験した学生たちからの報告を耳にすると、日々の勉学とはまた異なった体験をすることを通じて、学生の皆さんが自らの中に、より広がりのある成長の芽を生み出しかけていることを実感します。皆さんもそうした活動に加わることで、「忘れない」ことの意味を感得する機会があるかもしれません。

一昨年の五月に、東京大学の救援・復興支援活動のスタンスとして、「生きる。ともに」という総長メッセージを出しました。「生きる」という当たり前のように見えることが実はいかに大変なことなのか、どれほど価値のあることなのか、それをこの大震災は否応なく私たちに考えさせました。また、「絆」という言葉が当時盛んに使われたことを、皆さんは記憶していることと思います。人が社会的な存在として生きていく以上、「ともに」、「絆」は不可欠な意識です。つまり、皆さんが勉学をすすめていく上でも、勉学の意味を考えていく時にも、やはり大切な言葉です。これからの日本社会が、こうした言葉をどのように意識に組み込み、社会の仕組みとして具体化していくことが出来るのか、皆さんの肩にかかっているところは小さくありません。

すなわち、「東日本大震災を忘れない」ということは、人間としての原点、社会としての原点、学ぶ者としての原点を忘れない、ということです。このたびの大震災に限らず、残念ながら無くなることのない自然災害や事件事故などに際しても、皆さんが生きていく上での原点を考えさせられる機会があると思います。そうした場面に真剣に向き合いながら学び続けることを通じて、皆さんが、ただ「頭がよい」存在から、「人として信頼され、頼りにされる」存在(東京大学憲章では、「市民的エリート」という言葉が使われています)へと成長していかれることを願っています。

(総長)

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