HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報555号(2013年4月 3日)

教養学部報

第555号 外部公開

深く迷い、高く跳べ

石井洋二郎

555-A-1-2.jpg新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

皆さんはこれから、駒場キャンパスで二年間の教養課程を過ごした後、進学振分けを経て、三・四年の専門課程に進むことになります――というのが、これまで何度となく繰り返されてきた説明です。しかし私はまず、あたかも自明のように思われているこの図式を疑ってみることから始めてみたいと思います。

そもそも、「教養」とはいったい何でしょうか。特定の専門に偏ることのない視野をもち、文科・理科を問わず、さまざまな分野の学問について幅広い知識を身につけること、といった定義はしばしば見かけますが、果たしてそれだけで十分なのでしょうか。

当然のことですが、ただいろいろなことを知っているだけでは、本当の「教養」とは言えません。そのままではばらばらの断片にすぎない知識を相互に関連づけ、有機的に総合し、具体的な問題を前にしたときいつでも動員できるように構造化してはじめて、それは本来の意味で「教養」の名に値するものになるはずです。

だとすれば、そのような「教養」がたかだか二年間で身につくはずはありません。それは三・四年生になっても、大学院に進学しても、あるいは就職して社会に出てからも、ずっと学び続けなければならないものなのです。なぜなら、専門的な勉強を始めてからこそ、自分がいま学んでいることは他の分野とどのように関連しているのか、全体的な学問の地図の中でどのような位置を占めているのか、そして社会の中でどのような役割を果たしているのか、そうしたことを絶えず問い直す必要に迫られるからです。

だから駒場の二年間で「教養課程」は終了し、その後は「専門課程」でもっぱら特定分野の勉強をするのだと思っている人がいたら、まずはその先入観を捨ててください。「教養」と「専門」の関係は前後関係ではなく、ましてや上下関係でもなく、車の両輪のように連動した同時並行的・相補的な関係です。専門性をもたない教養人が単なる「物知り」でしかないのと同様、教養の裏付けのない専門家は単なる「専門バカ」にすぎません。

教養学部の前期課程で皆さんに身につけていただきたいのは、いわばこれから生涯にわたって続く「持続的な教養教育」に向けて旅立つための基礎体力です。そうした体力をつけるためには、旺盛な好奇心をもって積極的に体を動かさなければなりません。さいわい皆さんの前には、鬱蒼とした「教養の森」が広がっています。まずはそこに足を踏み入れて、気の向くまま自由に歩き回ってみてください。

その過程で、場合によっては自分の位置を見失い、どちらに進めば出口があるのかわからなくなって途方に暮れることもあるでしょう。しかし生い茂る樹木の一本一本と正面から向き合い、真摯な対話を繰り返していきさえすれば、自分の進むべき道はおのずと開けてくるはずです。

このとき前方に見えてくるのは、もしかすると最初に思い描いていたのとはまったく違った風景かもしれません。たとえば、私自身は文科一類に入学し、そのまま法学部に進学しましたが、四年生のときにあれこれ迷ったあげく、最終的に択んだのはフランス文学研究の道でした。新入生のときには、自分がそんな世界に身を置くことになろうとは夢にも思っていませんでしたが。

もちろん、自分がやりたいことはもう決まっているから、早く専門の勉強をしたいという人も少なからずいるでしょう。それはそれで結構、一直線に森を横切って、さっさと平地に突き抜けてしまうのも、決して悪いことではありません。しかしそういう人にとっても、やがて自分の拠って立つ場所を相対化する必要に迫られる日がかならず来ます。どんな学問分野も、決してそれだけが孤立して存在するわけではないからです。

皆さんは今日まで、「東大に受かる」という共通の目標に向かって一心に走り続けてきたことでしょう。けれどもこの目標がひとまず達成された今、これからはひとりひとりが他人とは異なる目標、自分だけの内発的な目標を見つけなければなりません。そのためには人生のある時期に、あちこち寄り道しながら、直線的ではない時間を過ごすことが絶対に必要です。何かを決めるには、まず本気で迷うことが不可欠なのです。

十年後、二十年後に、自分はどんな人間になっていたいか。どんな経験を積み、何を目標として生きていたいか。そんなことに想いを馳せながら、駒場キャンパスに広がる「教養の森」の前でいったん立ち止まり、ゆっくり深呼吸してみてください。そして出口をめざして「脇目もふらずに」走るのではなく、むしろ意識的に「脇目をふり」ながら、立ち並ぶ樹木のあいだに深く迷い込んでください。深く迷えば迷うほど「知の身体」はよりしなやかになり、より高く跳ぶことが可能になるはずです。

「深く迷い、高く跳べ」――この言葉を皆さんに贈り、私からのささやかな歓迎の辞としたいと思います。

(教養学部長)

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