HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報556号(2013年5月 1日)

教養学部報

第556号 外部公開

「アラブの春」のゆくえ――公開シンポジウム「混迷のシリアを読み解く」から――

辻上奈美江

556-K-7-1.jpg二〇一一年初頭、アラブ諸国では民衆の蜂起によって長期間にわたる権威主義がつぎつぎと危機的状況に追いやられました。チュニジアとエジプトでは民衆の抗議により政権が倒れ、リビアでは体制派と反体制派との対立が激化し、NATO軍の介入によりカダフィー政権は終焉を迎えました。イエメンでは大統領官邸への攻撃で大統領が激しく負傷したのちに大統領職が副大統領に移譲されました。バハレーンでは政権は打倒されなかったものの、スンニー派とシーア派の対立が激化し、湾岸諸国からなる「湾岸の盾」軍がはじめて派兵されました。これらはいずれも長期政権を維持してきた国であり、政権を打倒させたり危機的状況に追いやった「アラブの春」は間違いなく歴史的な分岐点となるでしょう。

「アラブの春」は、多くのアラブ諸国に言論の自由や結社の自由など民主化の萌芽をもたらしたと同時に、政治的混乱、経済の停滞や失業率の上昇を招きました。とりわけ状況の打開に困難を抱えているのがシリアです。シリアでは、体制派と反体制派との対立は二年を迎え、国連によれば死者は六万人を超したとされています。

中東地域研究センターでは、このようなシリアの状況をよりよく理解するため、二〇一三年一月二七日、総合文化研究科地域文化研究専攻との共催のもと、公開シンポジウム「混迷のシリアを読み解く」を開催しました。シンポジウムでは、外交、研究、そしてメディアの最前線で活躍する講師四人にそれぞれご講演いただきました。

長岡寛介外務省中東アフリカ局中東第一課長の講演「シリア情勢と日本の対応」では、シリア問題について、国連安全保障理事会が十分に機能しない状況で、国際社会の取り組みと日本の役割について議論されました。日本は諸外国と協力しつつアサド政権への圧力強化、難民・避難民への人道支援、来るべき経済復興の準備、反体制派の統合のために働きかけていることが明らかにされました。

続いて黒木英充東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授の講演「シリア内戦の歴史的要因――社会変動と国際的介入の複合」では、シリア内戦の現状とその行方について歴史的視点から議論されました。講演では、フランス委任統治期以来の宗派問題、一九世紀の東方問題の影を引きずる国際的介入の構造、そして現在の対立状況を根底から規定する都市・農村問題と人口移動について論じました。

高橋英海東京大学大学院総合文化研究科准教授、UTCMES兼務准教授からは「シリア地方のキリスト教徒少数派たち――過去・現在・そして?」について講演がありました。かつて中東地域には多くのキリスト教徒がいましたが、二〇世紀以降、同地域のキリスト教徒の比率が低下しました。とりわけ一九九〇年代以降はイラクでも経済・治安状況が悪化したため、シリアは一帯でキリスト教徒が安全に暮らせる数少ない国の一つでもありました。しかし、「アラブの春」のためにその状態は大きく変化します。講演では、シリアと周辺地域におけるキリスト教徒の過去の遺産と現在の状況について概観した上で、トルコ、イラク、レバノンなどの周辺諸国における状況を参考にシリアにおけるキリスト教の今後の見通しについて議論されました。

最後に、川上泰徳朝日新聞社国際報道部・機動特派員より「「アラブの春」の現場から見るシリア情勢」と題する講演が行われました。講演ではとりわけ「アラブの春」後に台頭するムスリム同胞団系政党およびイスラム厳格派サラフィに着目する議論が行われました。強権支配に対する民衆の反乱という「アラブの春」の波及として始まったシリア内戦では、長期化する過程でアサド政権はシーア派イランの支援を受け、反体制派は同胞団とサラフィが主導する権力闘争へと変容しました。シリアの内戦の行方は、パレスチナ問題やイランの核開発問題、アラブ絶対君主国家の安定など、今後の中東を大きく左右することになるとの視点に基づき、シリア内戦を取り巻く中東政治の動きについて論じられました。

このようにシリアは、政治的、宗教的に複雑な権力構造のなかに位置づけられています。だからこそ状況の打開が困難となっていますが、将来、現政権が倒れた場合にも政治的、経済的、宗教的な混迷が予想されます。初期に政権が倒れたチュニジアとエジプトとは、「アラブの春」後のゆくえを知るための道標になると考えられています。両国では、それぞれ選挙が行われ新たな体制移行期に入りましたが、チュニジアでは野党幹部が暗殺され、エジプトでは選挙延期の判決が下されるなど、先行きは不透明です。リビアでは武装勢力の活動が活発になっています。イエメンでも治安が悪化し、「アラビア半島のアル・カーイダ」などが活動をいっそう活発化させています。そのように考えると、アラブ諸国が「アラブの春」後の不安定な状況から脱却するには、少なくとも数年間を要することが予想されます。

(スルタン・カブース・グローバル中東研究寄付講座)

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