HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報557号(2013年6月 5日)

教養学部報

第557号 外部公開

近世ヨーロッパを旅する者たち~文書館の資料の中から

西川杉子

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ホガース『昼』(部分)
中央の教会堂の戸口に立つ人物が
エルヴェ師。
一八世紀イギリスの画家ウィリアム・ホガースの『昼』(一七三六年)と題する絵には、ユグノーと呼ばれるフランス系プロテスタント(カルヴァン派)の亡命者たちが描かれている。ロンドン中心部に近いホッグ小路の教会堂から着飾って出てきたユグノーの会衆の中に、聖職者がひとり――この聖職者は誰なのか、少なくともユグノーの間では話題になったらしい。なぜなら、ロンドンのユグノー協会文書室に託された手記に、「ホッグ小路の牧師だったトマ・エルヴェ師そっくり!」と書かれているからだ。

絵の中のエルヴェ師はいかにも自尊心の強そうな顔をしていて、ホガースはあまり好意を持って描いたのではないと思う。しかし、私はエルヴェ師の別の面も知っている。一族の言い伝えによると、彼はフランスではカトリックのカプチン修道会に属する修道士で、ユグノーの弾圧にも関わっていた。ところが、ユグノーから没収した書籍をこっそり読むうちに、ユグノーに同情し、ついにはプロテスタントに改宗して、ロンドンに亡命することになったのだ。真夜中に、修道院で禁書に読みふけるエルヴェ師の姿を想像すると、なにやら微笑ましく思える。

このエルヴェ師が歴史になにか大きな足跡を残した、ということはない。ホガースの絵に描かれたという話が伝わっているのもユグノーの家族史のなかである。ただ、彼や彼の一族の記録は、近世に人々がいかにたやすく国境を越えたのかを示すよい例である。たとえ、亡命が苦難に満ちたものであっても、彼らにとっての「国境」は現在の私たちよりもはるかに垣根の低いものであったように思われる。例えば、ロンドンで生まれた彼の一人娘ジェイン・エリザベスの結婚相手フランソワ・ジローは、北イタリア・ピエモンテ地方からドイツ南部ヴュルテンベルクに亡命したプロテスタント(ヴァルド派)の第二世代で、やがてイギリスに亡命した親族を頼って、ロンドンに留学してきた。従って、エルヴェ師の一族は国境を越えた近世プロテスタント・ネットワークのなかで、生きてきたといえるだろう。

宗派ネットワークの研究をしていると沢山のエルヴェ師に出会う。近世イギリスは、特にユグノーやヴァルド派といったヨーロッパ大陸のプロテスタントを援助し、時にはモノや情報を収集するために利用したことから、図書館や文書館には、エルヴェ師のような亡命者によって書かれた通信文や嘆願書が数多く残されている。私の研究は、このような文書を探し出して、当時の宗派ネットワークの実態を明らかにし、ひいてはイギリス社会における宗教の役割を再検討することだ。

イギリスに関する文書でも、イギリス本国ではなく、デンマークやドイツやルーマニアでみつけることもある。リトアニアの場合は、近世イギリスがリトアニアのために行った義捐金募集関連の書類が首都ヴィルニュスの文書館に大切に保管されていた。今は一八世紀後半のブコヴィナ(現在のルーマニアとウクライナの国境地帯)のプロテスタントのために行われた義捐金募集に注目している。一八世紀後半ともなれば、宗教を掲げて国が大掛かりな義捐金募集を行う機会は少なくなっているので、一八世紀の政治文化の変化を知る糸口になればと調査を進めている。

さて、イギリス研究コースで私は「イギリス社会文化論Ⅰ」を担当しているが、なるべく「ヨーロッパ史のなかのイギリス史」という視点をみなに伝えたいと考えている。イギリス研究コースでは、他にもアジアと近現代イギリスの結びつきや、EUとイギリス政治、あるいは英語圏植民地文学やアイルランド研究そして、もちろんイギリス文学研究も行われている。「イギリス」は広く深いのだ。

(地域文化研究専攻/イギリス研究コース/英語)

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