HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報558号(2013年7月 3日)

教養学部報

第558号 外部公開

〈時に沿って〉 バッファロー、ニューヨーク

吉国浩哉

私は今年の四月にここ駒場の言語情報科学専攻に着任しました。前期課程では英語、後期課程と大学院ではアメリカ文学の授業を主に担当しています。駒場に来る前は二年ほど都内の別の大学に勤めていたのですが、さらにその前は五年半ほどアメリカにいました。ニューヨーク州のバッファローというナイアガラ滝の近くの街です。

この街にあるニューヨーク州立大学バッファロー校の大学院博士課程でアメリカ文学を学びました。アメリカの大学院で学んだ人はだいたいみんなそうだと思うのですが、私も最初の二年間は授業を週四コマとりました。四コマというと少ないようにみえるかもしれませんが、アメリカの場合は一コマの授業が三時間です。そのうえ、文学の授業では課題として小説や詩集を週一冊は読むので、四コマとるとほぼ毎週四冊は読まなければなりませんでした。

そして、一五人ぐらいのセミナー形式で行われる授業では毎回何らかの発言をしなければいけません。何も発言しないと課題の本を読んでいないものと見なされてしまうからです。そうでなくても一五人しかいない教室の中で三時間黙って座っているのはかなりキツイです。私は最初、教室内での議論が全然わかりませんでした。途中から先生の隣に座るようにしたので、先生の話だけはわかるようになったのですが、それでも学生の発言はあまりわかりませんでした。しかし、その後しばらくして耳が慣れてきてから発見したのは、学生の発言がよくわからないと感じた時には、しばしばその学生の話すことがテクストや議論の文脈から逸れてしまっているということです。

つまり、こちらにとってまったく想定外のことを言われると、それを理解することはかなり困難だということです。このとき、形式(リスニング、発音など言語的な要素)と内容の理解が密接に関連していることを身にしみて感じました。

そんなこんなで二年の授業を終えたあと、今度は口頭試験を受けました。これは、自分の研究分野の専門家となるために必要な文献のリストを指導教員と共に作り、そこに挙げられたテクストについて口頭で試験されるというものです。私の場合は、一九世紀のアメリカ文学とその批評研究で構成された七〇冊ぐらいのリストでした。この試験にどうにか合格して博士論文を書くことが許されました。結局、渡米から博士号取得までで五年半かかりましたが、アメリカ大学院の博士課程としては平均的な期間だと思います。

以上のように書くと、日本の大学院とは違って授業態度や試験が重視されていて、アメリカの大学院は厳しいという印象を与えてしまうかもしれませんし、実際に(成果主義的に)本当に厳しいときもありますが、学生が個人として尊重されていて雰囲気はとても自由です。そして何よりも、教員も学生も世界中から集まっているので、毎日がなにか新しいことや今までとは違うことの経験の連続でした。バッファローで知り合った人々は、いまでは全米のみならず世界中に散らばっているのですが、フェイスブック等を通じて連絡を取り合っています。

(言語情報科学専攻/英語)

第558号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報