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教養学部報

第559号 外部公開

〈時に沿って〉エスノグラフィで開眼

阿古智子

本年四月に東京大学総合文化研究科に着任いたしました。それまで、早稲田大学国際教養学部(四年間)、学習院女子大学(二年間)、姫路獨協大学(二年間)で、いずれも中国語と現代中国社会に関する授業を担当していました。東大でもほぼ同じ内容の授業を担当していますが、これまで理系の学生に中国語を教えたことはなく、大学院生の教育を本格的に行うのも初めてで、新鮮な気持ちと新たな目標を抱きつつ、やりがいのある毎日を過ごしています。

私は学部(大阪外国語大学)で中国語を専攻、修士(名古屋大学国際開発研究科)で発展途上国の教育開発を学び、同大学の教育学研究科博士後期課程に進学、名大に籍を置きながら香港大学教育学部に留学し、最終的に香港大学で博士号を取得しました。大学院に進学した当初、将来研究者になりたいという気持ちはなく、国連機関やNGOの職員として社会開発の現場で働きたいと考えていました。しかし、香港大学でエスノグラフィを通して研究の面白さに開眼し、研究者を目指すことを決意しました。

エスノグラフィは、現場の人たちと同じリズムで生活し、研究者自らもそこに所属する内部者として何らかの役割を果たし、徐々に研究対象の視野を読み解いていく手法で、研究対象のコミュニティや集団にとけこむために、時間と忍耐が必要になります。自分の個性が際立ってしまえば、異質な存在として疎外される可能性がありますし、元々自分がもっている価値観や判断基準に則して、研究対象を見ることを極力避けなければなりません。

私は中国の農村コミュニティや都市部の学校で一ヶ月半から一年の期間、調査を続けました。小さな発見を積み重ねるうちに、今まで考えもつかなかった現象に注目するようになったり、解釈の仕方を大きく変えたりすることもありました。絶えず問いをもち、分析枠組を更新するプロセスがエスノグラフィにとって重要であり、一方的な押し付けではない、多方向からの探究と価値の創造を行うことが可能だと感じています。

現在、中国の地域間の経済格差は我々の想像を絶するほど拡大していますが、それには歴史的、文化的、政治的、社会的要因が複合的に関わっています。私はそれらを具体的に研究するため、農村と都市を厳格に区分する戸籍制度や土地制度、そうした制度の下、差別的に扱われる「農民工」と呼ばれる出稼ぎ労働者の思考や行動の特徴を分析しています。

また、学校教育、コミュニティ、ネット空間等を通じて言論・思想空間がどのように形成されているのか、中国の市民社会にはどのような特徴があるのかという問いをもって、研究を進めています。中国の言論・思想空間は厳しく統制されているように見えますが、実は結構開放的で、多様な視野が交錯し、自由な議論が活発に行われています。今年から科研費・基盤研究B「“中国”をめぐるアイデンティティとナショナリズムの研究」の代表者を務めていますが、日中関係を改善し、開かれた国際関係を展望するためにも、こうした基礎研究をしっかり進めていきたいと考えています。

(国際社会科学専攻/中国語)
 

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