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教養学部報

第560号 外部公開

異質なものとぶつかること

木村忠正

560-B-1-2.jpg私は東大・イェール・イニシアティブというプログラムで、2012年から2013年にかけて半年間ほどイェール大学に客員研究員として滞在しました(イニシアティブのHPは、http://todai-yale.jp/index_jp.html)。イェール大学は、ニューヨークから北東に地下鉄で一時間半ほどのニューヘイブン市に所在しています。学部生五千三百人、大学院生六千五百人程度、ハーバードの六割、本学の四割ほどの規模ですが、人口十三万人のニューヘイブン市は、街全体が大学キャンパスであり、大学ゴシック様式を基調とする中に独創的な近代建築が点在する街並みは美しいものです。

その街並みの一つにCharles DickensとMark Twainが「アメリカで最も美しい通り」と称したと言われるHillhouse Avenueがあります。私が滞在中研究活動を行ったCEAS (The Council on East Asian Studies) と人類学部はHillhouse Avenueに面しており(人類学部のメインは一つ通りを隔てたところではありますが)、Zoi's on Orangeのサンドウィッチを頬張り、Willoughby'sのコーヒーをすすりながら、季節の移り変わりを楽しむことができる環境の重要性を強く感じました。

さて、ごく私的な回想ですが、今回の滞在で最も嬉しかったのは、認知人類学(エスノサイエンス)の祖の一人であるHarold Conklin先生(一九二六年生)にお目にかかれたことです(写真)。もともと認知人類学を理論的出自としており、Conklin先生は雲の上の存在で、実際にお目にかかり、お話できるとは思ってもいませんでした。

他方、今回最もショックを受けたことも紹介させて下さい。私は文化人類学的観点から情報ネットワーク、サイバースペースの調査研究に取り組んでおり、ここ数年、「デジタルネイティブ」(およそ一九八〇年生以降の世代)に焦点をあてています。そこで、イェール大生を含め、アメリカのデジタルネイティブたちに関する調査を行い、寮生活を見せてもらったり、具体的にインターネットや携帯電話の利用について話を聞く機会を持ちました。

二〇〇〇年代半ば、光ファイバーでの高速ネット(ブロードバンド)や第三世代携帯電話でのネット接続(3Gモバイルネット)に関して、日本は社会的普及が世界的に最も進展し、高度なネットワークが相対的に安価に利用できる社会となりました。しかし、3Gモバイルネットが普及しなかった欧米アジア圏では、二〇一〇年前後からスマートフォンの普及により、一気に第四世代モバイルネットへの蛙跳びが起こり、日本の携帯はガラケーと呼ばれる状況に一変。

アメリカでは、映像コンテンツに関して、NetflixやHuluなどの配信サービスが普及し、月定額でパソコン、タブレット、スマホなど端末を問わず、無線高速ネットで視聴することが可能となっています。そこで今回の調査では、学生たちは、テレビを見ることなく、映像配信サービスを利用し、自室ではパソコン、ジムではタブレット、外出先ではスマホで映画やテレビ番組を見ていました。とくにニューヘイブン市内はコンパクトであり、街中至る所でイェールのWi-Fiネットワークに接続することができます。

こうした潤沢なネットワーク環境も軽い驚きではあったのですが、大きなショックを受けたのは、調査に協力してくれたある学生の話です。ご両親が東南アジア出身の彼女は日本に関心を持っていて、昨年九月から一年間の予定で中部圏の某大学に留学をしたそうです。ところが、冬学期いただけで、アメリカに帰ってきてしまった。だからこそ、イェールでインタビューできたわけですが、何故、彼女は日本から戻ってしまったのか? それは、いたたまれなくなってしまったからだと言われました。

彼女としては、留学先の学生たちと、もっとディスカッションして切磋琢磨して自分を高めたいと思って来たのに、どうも「ぬるい」というか、横並びで、大学で自分を研鑽できるように思えなかった。そこで彼女は辛くなってしまい、帰ってしまったというわけです。

私は彼女の言葉を重く受け止めました。半年間アメリカに生活して日本に戻ってくると、日本社会における同質性、同調圧力の強さを改めて感じる所が多々あります。滞在中、アウンサンスーチー氏の講演をはじめ、イェールは千客万来、日々多様なイベントが開催されており、多様性・異質性に触れ、刺激を受ける環境に満ちています。

もちろん、ニューヘイブンで生活をすると社会の二極化を目の当たりに思い知らされます。日没後は中心街でも一人で歩くのは危険です。街中に緊急通報用電話が設置され、何らかの脅嚇、強奪事件も月に数件は大学のMLで流れてきます。滞在中、さほど遠くはないコネティカット州内の小学校で二十六人が犠牲となる銃乱射事件がありました。

こうしたアメリカ社会の影もまた直視しながら、同質性を打ち破り、異質なものとぶつかって自らを高めていくこと、異質な人たちと交流し付加価値を創り出していくことが本学のメンバーに求められているのではないかと思います。本学の国際化は急速に進展していますが、彼女が本学に留学した際には、そのまま本学で勉強したいと思ってもらえるようになればと強く感じています。

(超域文化科学専攻/文化人類)
 

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