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教養学部報

第560号 外部公開

講談とホメロス

日向太郎

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講談に必要不可欠な小道具、釈台。
なお、マイクは拡声用ではなく、収録用、集音用。
人間誰しも、もっと早く出会っていればよかった、と思うようなこと(人)はある。私の場合、講談がこれに当てはまる。もっとも講談といっても(古くは講釈といった)、ご存じない方、ピンとこない方が大多数だろう。私も六年前まではそうだった。落語のようなものだろうと想像していたが、私はその落語すら、ろくに聞いたことがなかったのだ。

講談とは、簡単に言えば、歴史を題材としたお話し、寄席演芸である。着物をまとった演者は、高座の上に置かれた小さな机(釈台)を前に座って話す。時々張(は)り扇(おうぎ)という小道具を使って机を叩く。これが、話のメリハリや区切りになる。なお、講談を演ずる行為は、「読む」といわれる。本来は机の上に本を置いて、それを読み上げ、説明や注釈を加えていたようである。しかし、現在では演者は話を暗記し、本なしで「読む」のが一般的である。

落語や浪曲ならば、ほぼ年中興行している定席があり、その気になれば、いつでも聞くことができる。講談の場合、なかなかそうはいかない。講談の常設の寄席は、もはや東京にも存在しないからである。平成のはじめ、一九九〇年頃までは、一軒だけ上野界隈にあったようだ。私は当時、大学院生だったから、年齢的には何とか間に合ったはずなのだ。しかも通っていたのは、上野とは目と鼻の先の本郷。そして、勉学に打ち込んでいたわけでもなかった。実に惜しいことをした、とつくづく思う。講談師は、落語会などで助演することもある。しかし、講談師自身も言うように、講談の何たるかを知る人が少なくなっている昨今、「講釈の講釈」で持ち時間が尽きてしまいかねない。

数あるジャンルや演目のなかでも、とくに根本とされ、またいかにも講談らしく思われるのは、軍談である。武田信玄と上杉謙信が鎬を削った『甲越軍記(川中島の戦い)』、羽柴秀吉が明智光秀を討った『山崎の合戦』などもあるが、基本中の基本は『三方ヶ原(みかたがはら)軍記』である。元亀三年(一五七二)、都に攻め上る甲州勢が徳川の領内を通過するとき、家康がこれに立ち向かい敗北を喫した戦いである。

唐突であるが、私の専門は、西洋古典学。古代ギリシアやローマの叙事詩に関心がある。たぶん、そのせいだろうか、軍談を初めて聞いたとき、ホメロスの『イリアス』を連想した。軍談が読まれる際の独特な調子は、叙事詩の韻律ヘクサメトロスを思わせる。
 『イリアス』第十一歌の初めに、総大将アガメムノンが脛当て、胸当て、剣、大楯、兜を装着する長いくだりがある。それぞれについての由来、その模様や図柄にまで言及がある。『三方ヶ原』にも、こうした武具装束の描写は事欠かない。徳川の家臣内藤三左衛門信成が、物見に出かける段、彼の装束は以下のとおりである。

「その軍装(いでたち)を見(み)てあれば萌葱縅(もえぎおどし)の大鎧(おおよろい)草(くさ)ずり長(なが)に一着(いっちゃく)なし同(おんな)じ毛糸(けいと)五枚(ごまい)錣(しころ)の銀獅噛(ぎんしがみ)みの前立(まえだて)打ったる兜(かぶと)の八幡座(はちまんざ)より錣迄(しころまで)白熊(はくま)の毛(け)サット振(ふ)り乱(みだ)し猩々(しょうじょう)緋(ひ)に金糸(きんし)を以(も)って下(さ)がり藤(ふじ)の紋(もん)縫(ぬ)い上(あ)げたる陣羽織(じんばおり)を肩(かた)に取って投(な)げ掛(か)け」、という具合。

うっかり朗読すると舌を噛みそうな文であるが、プロの講談師は所々で息をつぎながら、張り扇を小気味よく入れ、明るく、力強く読み上げる。

『イリアス』第二歌には、トロイア戦争に参加した都市、大将、兵力を次々紹介する「軍船表」と呼ばれる一節がある。一方、『三方ヶ原』では、武田勢三万五千余人の全軍は、赤、白、黒、黄、浅黄を各々帯びた五つの部隊に分かれる。それぞれを統率する大将の名前が挙げられ、その装束や家紋などが事細かに紹介される。また、『イリアス』第十八歌では、戦友を失い、悲涙に咽ぶ息子アキレウスを慰めようと、海に住まう女神テティスが自身の姉妹三十三人と共に現れ、彼女たちの名前が紹介される。他方、講談の人気演目『赤穂義士伝』にも、吉良邸討ち入りに参加した四十七士の名前が、列挙されるくだりがある。講談師がよどみなく誤りなく読み上げれば、客席から拍手が沸き起こる。

正直なところ、以前私は『イリアス』の武具の描写、カタログといわれる固有名詞の列挙などの魅力が実感できなかった。たしかに、文字で眺めていると、その良さは伝わりにくい。しかし、講談に親しんでみると、ホメロス詩のような口承文芸の聞き所は、細密描写やカタログだったように思われてならない。叙事詩も講談も、ドキュメンタリーである。カタログや描写は、事実に肉薄しようとする執着の表れかもしれない。

もっとも、「講釈師見てきたような嘘をつき」といわれるように、講談はしばしば虚構として貶められる。しかし、講談は何も史実の再構築を目指すものではない。断片的な歴史データに依拠しながらも、言葉の不思議な力をもって、聴き手の空想に働きかける。昔のできごとを、目前に見ているような気分になる。そのようなひと時が、私にはかけがえのない贅沢である。

(言語情報科学専攻/仏語・伊語)

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