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第560号 外部公開

〈本の棚〉橋川健竜著 『農村型事業とアメリカ資本主義の胎動~共和国初期の経済ネットワークと都市近郊』

丸山真人

560-C-3-2.jpg近代資本主義の成立について、私たちはどのようなイメージを持っているだろうか。封建的な農村共同体が崩壊して近代的な工業都市へと人口が移動するイメージ。または、農民層が分解して富裕層が資本家に、そして貧困層が賃金労働者になるイメージ。あるいは、自給自足的な農村社会が市場取引に巻き込まれて、農業から独立した農村工業が発達するイメージ。本書で扱う一九世紀前半のアメリカ東部都市近郊農村地域の資本主義化の過程は、そのいずれにも当てはまらない。

著者は、ニューヨークとフィラデルフィアの間に位置するニュージャージー州東部の農村地帯を事例として取り上げ、当時の農村事業家たちの活動の記録を丹念に調べることによって、農家経営の基本を維持したまま、製粉業、薪炭生産、製鉄業などに取り組む独自の事業形態が展開されていたことを明らかにする。

たとえば、本書に登場する中心人物であるサミュエル・G・ライトは、フィラデルフィアで商店を営むかたわら、ニュージャージー州内外に農場や森林を含む広大な土地を所有していた。一八一〇年代には、蒸気船の燃料となる薪の生産事業を展開し一八二〇年代には所有地の泥土を原料とする製鉄業に取り組むようになり、さらに、自分の所有する森林資源を活用して造船や炭の生産にも手を広げるようになった。だが、ライトは一貫して農業から撤退せず、こうした生産事業をいずれも農家経営の一環として位置づける姿勢を保った。

家族で消費する部分と市場に出荷する部分の両方を栽培する農場は「複合型農場」と呼ばれている。ここで、市場用作物の生産に相当する部分を製鉄などの製造事業によって置き換えてみると、自給的な農家経営と商品生産とを合体させた独特な事業形態が浮かび上がってくる。著者はそれを農村型事業と名づける。その基本的な特徴は、製造部門が独立採算制をとっておらず、農家経営の一部に組み込まれており、農家として十分な蓄えをするための手段となっていた、ということである。したがって製造部門での利潤最大化は意図されておらず、営利企業のように生産や流通の合理化が徹底されていたわけでもなかった。

著者は、こうした農村型事業の経営基盤は脆弱であったととらえている。資本主義的生産が本格化する一九世紀後半には、農村型事業の担い手は都市型の営利企業家たちによって駆逐されてしまう。だが、著者は他方で、農村型事業であるがゆえの融通性、とりわけ市場への適応能力に注目することによって、商品生産および流通のネットワーク形成において農村型事業が果たした役割を肯定的に評価する。

たとえば、ライトは薪用の木を伐り出すときに、地元の農民を伐採夫として一時雇用したり、自分の農場の農夫を運搬作業にあたらせたりもした。また、製鉄所を二つ持っていて、それぞれの生産時期をずらすことで労働者をやりくりした。このようにして、事業全体として資源と労働力を総動員することが可能であった。これを空間的にとらえると、各地に広がるライトの所有地の間でモノと人間が頻繁に移動していたことになる。一九世紀前半のアメリカ資本主義は、以上のような意味において農村型事業がその一翼を積極的に担っていたとみることができる。

ところで、歴史的使命を終えた農村型事業はその後どうなったのだろうか。ライトたちが活躍した都市近郊農村では、製鉄や造船部門からの撤退が相次ぐ一方、家庭用の炭の需要に対応した炭の生産が継続し、また、都市向けの野菜の栽培が盛んになった。生産する商品の中身は変わっても、地域の資源を活用して市場に柔軟に対応する農家経営の基本姿勢は健在であった。

最後に、歴史家としての著者の研究スタイルについて。一般に、史料は歴史上の「点」でしかない。史料が多ければ多いほど「点」の描き出すイメージも明確になる。だが、著者はあえて資料の少ない場所と地域を選び、誰も注目しなかった農村での事業を農村型事業として概念化した。そして、ライトのような事業家の姿を鮮明に描き出すことに成功した。固有名詞が頻出するため、索引を頼りに行きつ戻りつしながらストーリーをたどらねばならないが、語り口は平易であり、読者を楽しい謎解きの世界に誘うことは間違いない。〈東京大学出版会、四八〇〇円〉

(国際社会科学専攻/経済・統計)
 

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