HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報564号(2014年4月 2日)

教養学部報

第564号 外部公開

私のベトナム研究と駒場

古田元夫

564-B-8-1.jpg私が東京大学教養学部に入学したのは、今から四六年前の、一九六八年だった。この年は、後に第二次世界大戦後の世界史の大きな転換点と言われるようになる、大事件が世界でも日本でも続いて起きた年だった。

この年の新入生は、大学でも何か大きな出来事が起こるという、「予感」を共有していたように思う。この「予感」は、「東大闘争」をはじめとする学園紛争という形で、現実のものとなった。

私は、大学に入ったらアジアのことを勉強したいと思っていた。当時は、アジアでも、中国の文化大革命やベトナム戦争など、日本の若者の注目を集めていた大きな出来事がたくさんあった。私の関心は、こうした目の前にあるアジアの激動に刺激されたものだった。

こうした私にとって、たいへん刺激的だったのは、駒場での上原淳道先生の東洋史の授業だった。上原先生は、中国の古代史を専門される先生だったが、その講義は、南アフリカのアパルトヘイトからベトナム戦争まで、現実のアジア・アフリカで当時発生していた現代的課題を中心としたもので、ベトナム戦争がこれだけ日本でも注目されていながら、ベトナム現代史に学問として取り組んでいる研究者は、日本ではまだほとんどいない、という上原先生のお話しは、私がベトナム研究者になる最初のきっかけになった。

当時の日本で、現実のベトナム戦争に関する多くの人びとの考えをリードしていたのは、ジャーナリストだった。本多勝一氏など、多くの優れたジャーナリストのベトナム現地からのルポルタージュが、日本でのベトナム戦争イメージの形成に大きな役割を果たしており、私も大きな影響を受けたといってよい。ここで、上原先生の言われた「学問として」ベトナム現代史に取り組むということが、非常に気になりだした。「学問として」取り組むということは、こうしたジャーナリストの仕事とどのように重なり、どのように違うのかという問題が、私のベトナムへの関心が大きくなるにつれて、私自身の課題として自覚されるようになった。

私が、学生時代に到達した結論は、やや方向性がと異なる二つのことだった。第一は、ジャーナリストの場合には、ベトナム戦争が終結して、別の地域で戦争が起きれば、そちらの報道に携わるのが普通かもしれないが、研究者としてベトナムに取り組むということは、ベトナムと生涯向かい合うということであり、そのためには、ベトナムの個性に対する内在的理解が不可欠で、ベトナム語ができなければいけないだろうという結論だった。当時は、まだ東京大学のカリキュラムにはベトナム語はなく、私のベトナム語の勉強は、南ベトナムから日本へ留学し東大の農学部の大学院にいたベトナム人を先生として始まった。

第二は、ベトナムで現在生起していることをどれほど正確に伝えるところにジャーナリズムの真価が問われるとすれば、学問としてのベトナム現代史研究では、ベトナムで起きていることの、人類社会にとっての、より普遍的な意味を歴史学という方法で考えるのが重要だろうという結論だった。当時の状況では、「ベトナム戦争の世界史的意義」を考えるということが、私の最大の課題となった。

もっとも、学生時代には、私のこれら二つの結論は、相互にはあまりうまく結びついていなかった。ベトナム戦争を普遍的な土俵で考えるという方は、ベトナムを民族解放運動という普遍的な価値の担い手と見なすという傾向が強く、あまりベトナムを「異質な他者」としてその個性を見つめるという努力にはつながっていなかった。

こうした私のベトナム理解の観念性は、私が大学院生になってから得た、ベトナムでの長期滞在によって打ち砕かれ、その後は、私の研究はベトナムの個性を内在的に理解するという、地域研究的な色彩を強めるのだが、そうなってからも、私には、こうしたベトナムの個性の理解を、普遍的な土俵に再度位置づけ直したいという志向が、引き続き強く残った。

私のベトナム研究の方法は、一九九五年に東京大学出版会から出した『ベトナムの世界史』という本にまとめられているが、この本は、「ベトナムにとっての世界」がどう歴史的に変遷したのかと、人類的な世界史的課題がそれぞれの時代のベトナムにどう貫徹しているのかという、二つの意味での「ベトナムにとっての世界史」を論じたものである。

私が東京大学に入学した頃に比べると、情報を得るという観点からすると、大学にいないと得られない情報というのは、はるかに少なくなっている。しかし、現在のような情報社会でも、というか情報社会だからこそというべきかもしれないが、大学という場でこそ考えられること、考えやすいことがあると思う。自らが関心をもった事象の成り立たせている土台―それは歴史であったり、哲学であったり、文学であったり、事象の性格によって様々ではあるが、東京大学で「教養」と呼ばれているものがこれにあたる-を見つめる知的営みに挑戦してほしい。ぜひ新入生を含む駒場に学ぶ皆さんが、駒場という場を生かして考えるべきことを、それぞれの関心に応じて見出してほしい。駒場=教養学部・大学院総合文化研究科は、皆さんの学問的な「冒険」にはたいへん暖かい場なはずである。

(地域文化科学専攻/歴史学)
 

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