HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報564号(2014年4月 2日)

教養学部報

第564号 外部公開

〈時に沿って〉 どこのものでもなく自分のものでもない言葉

藤田護

駒場で昨年度より第二外「国」語を教えることになりましたが、私がいま勉強している南米アンデスのアイマラ語は、「国」語ではありません。アイヌ語とアイヌ語の口承文学も勉強を続けていますが、これも「国」語ではありません。スペイン語も「スペイン」語ではありません。ちなみに、東大の駒場にはアイヌ語の授業がただ一つもないのですね。

駒場での大学二年生の後半に初級文法の速習を済ませて、実質的にあとは勝手にやれと放り込まれたスペイン語の世界は、細かいところはよく分らない中で、とにかくよさそうだと思った人のスペイン語を色々と真似てみる道をたどりました。そして、外交や国際協力で使われるフォーマルなスペイン語に馴れようとし、そういう階層の人々と話をしつつも、アルゼンチンからウルグアイにかけてのスペイン語からの影響と先住民言語の影響の両方が強くあると感じられる、南米ボリビアの日常のスペイン語に馴染んでいきました。駒場を含めた日本のスペイン語教育に携るようになり、細かいところで自分のスペイン語を見直す機会に恵まれつつも、「えっ?」と思うことが色々あり、しばらくして私が正しいと思った形も地域的な形としてあるらしいことを論文や文法書の中に見つけるということを繰り返しています。

そして、私にとってのスペイン語は、それを通じてその向こう側の世界へ入っていくための扉でもありました。初めはケチュア語、次はアイマラ語。今では英語圏でも少しずつ教材が揃いつつありますが、基本的にはよそ者がスペイン語を通してしか入っていけない言語であり続けている言語を教えてもらい、少しずつその言葉で話せるようになりつつあります。スペイン語以来久しぶりに別の言語が自分の身体に馴染んでくる感覚を味わいながら、目指す道の遠さに失神しそうになります。

スペイン語はスペイン語のためのものである必然性はなく、逆回転させてスペイン語が自らに併合しようとした言語へと入っていくこともできます。また、アイマラ語はアイマラの人々のものでは必ずしもなく、アイマラ語の方が得意なアイマラの人たちは、スペイン語しかしゃべれないアイマラの人たちに自分たちのことを分かってもらえないと思っていたりもします。

外「国」語がだめなら「外」語にもやはり限界があります。私にとって「そと」ではないし、母語である日本語も含め私にとって「うち」ではありません。不完全なままで、次第にどこのものでもなっていく言葉たちに、何とかコミットをし続けようと四苦八苦をする毎日です。

駒場で授業をすることの楽しみは学生の反応の良さにあります。一クラスに四十人もいる語学の授業として劣悪な状況の中で、授業の後で教室の前に出てきた学生たちと色々と考えを巡らす時間は無上の喜びです。学生のバックグラウンドは意外と均質ではなく、様々な人生がそのときだけ交錯する場にいられることを楽しみたいと思います。

(地域文化研究専攻/スペイン語)
 

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