HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報565号(2014年5月14日)

教養学部報

第565号 外部公開

学生相談所が創設60年を迎えました~60年で変わったこと、変わらないこと

丹野義彦、石垣琢麿、松島公望

学生相談所が六〇歳を迎えました。二〇一三年一一月には、学生相談所の六〇周年を祝して、記念式典がおこなわれました。学生相談所は、教養学部の歴史と同じ時を歩んできたといえます。

日本で二番目に長い歴史を持つ学生相談所

教養学部の学生相談所ができたのは一九五三年のことでした。そのきっかけとなったのは、一九五一年のSPS(スチューデント・パーソナル・サービス)というアメリカの使節団です。彼らの影響を受けて、日本の大学に学生相談所が創設されました。第一号は一九五三年一月の東京大学本郷キャンパスであり、第二号が同年四月の駒場キャンパスでした。つまり、駒場の学生相談所は、全国で二番目に古い歴史をもつわけです。これをモデルにして、全国の大学に学生相談所が普及しました。

駒場の学生相談所は、はじめ五号館(現在の八号館とコミュニケーションプラザ北館の間に建っていました)の中にありました。半年ほどして第一本館(現一号館)の玄関入り口横に移りました。受付には専任の助手が一名いました。当初は、八つの科会から計八名の先生が選ばれ、「相談所担当教官」となり、学生からの相談を受けていました。学生相談所の助手は、受付の面接をして、相談内容にふさわしい「担当教官」に相談を依頼していました。時がたつにつれ、相談の専門知識も高度化したことから、一九八〇年ころからは、助手自身が相談を受けもつようになりました。こうして、各科会から選ばれた「担当教官」の相談はなくなってしまったわけですが、二〇〇一年には「学生相談所協力教員」として一部復活しました。

六〇年で変わったこと=相談内容の多様化

この六〇年で大きく変わったことは、駒場キャンパスの学生が多様化したことです。図をごらん下さい。教養学部が設置された一九四九年には、科類は四つしかなく、一学年は一八〇〇人しかいませんでした。一九五一年には後期課程の教養学科が設置されます。その翌々年に学生相談所が設置されました。一九六二年には、前期課程は文Ⅰから理Ⅲまでの六つの科類となりました。一九八三年には大学院の総合文化研究科が設置され、一九九二年には数理科学研究科も設置されました。一九九六年には大学院部局化が完成し、後期課程は六つの学科に再編されました。

一九四九年には三六〇〇人だった学生数も、現在は約一万人となり、三倍近くになりました。学生の年齢も、一八歳か一九歳がほとんどを占めていた創設当時と比べると、ずっと広がりました。さらに、二〇一二年には、前期課程にPEAK(教養学部英語コース)が、大学院にGSP(国際人材養成プログラム)とGPES(国際環境学プログラム)のコースが設置され、学生の国籍も幅がずっと広がりました。また、駒場Ⅱキャンパスの大学院生も増えています。

こうした駒場学生の多様化にともなって、学生相談所に持ち込まれる相談内容も多様化しました。昔は一八歳、一九歳の学生の青年期の問題だけでした。その後、後期課程の学生が増えて、大学院か就職かといった進路の悩みが増えました。そして、大学院生が増えると、研究上の悩みとか、将来の悩みが増えました。さらに社会人学生も入ってきて、成人期の悩みなども持ち込まれるようになり、大学の国際化に伴って文化面での問題も目立つようになりました。時代の変化にともなって、六〇年前には見られなかったような悪徳商法、インターネットを介したトラブルなどの問題も学生相談所に持ち込まれるようになりました。学生相談所は駒場キャンパスの歴史を反映しながら歩んできたといえます。

六〇年で変わらないことは何か?

このように駒場キャンパスは大きく様変わりしましたが、学生の人生に対する真摯な態度というものは、昔も今も変わらないといえるでしょう。そうした学生の真摯な悩みと向き合って、学生相談所のスタッフの熱意というものも六〇年間変わらないことのひとつです。学生相談所はこれからも学生の皆さんがよりよい学生生活を送れるようサポートしていきたいと思います。いつでも気軽に訪れてください。
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(生命環境化学系/心理・教育学)
(学生相談所/生命環境化学系/心理・教育学)

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