HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報565号(2014年5月14日)

教養学部報

第565号 外部公開

〈本郷各学部案内〉人文学の問いと可能性:文学部への誘い

唐沢かおり

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法文2号館アーケード
われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか……これは、フランスの画家、ポール・ゴーギャンが描いた絵画のタイトルです。横長のキャンバスに年齢の異なる人たちが描かれた、暗いトーンの青と黄のコントラストが印象的なこの絵を、美術の、または倫理の教科書で見たことがある人もいるでしょう。文学部を紹介する文章において、なぜこの絵画のタイトルを持ち出したかというと、これが、文学部に属する、人文学、または人文科学と称される諸学問の基本的な問いを表現しているからです。

われわれはどこから来たのか――これは「過去」に向かう問いかけですね。文学部で行われている多くの研究の現場は、「過去」に向き合います。過去に生きた人たちが織りなした思想、生み出した文学・芸術作品、彼らの生きたあかしとなる歴史的遺物など、「遺されたもの」に込められたメッセージを読み取ろうとします。過去に生きた人が何を行い、何を語ろうとしたのかを明らかにしていくことは、彼らと対話することでもあります。その対話の中から、過去をよみがえらせ、今日のありように対する意味をも考察します。

われわれは何者かという二つ目の問いは、この「今日のありよう」をより直接的に問うものです。これは「今、ここ」にいる私たち自身に向かう問いかけです。「私」は、現代のこの社会の中で、何かしらのことを感じ、考え、行動し、その結果として、様々な現象を生み出していきます。行動の背後にある心、そして、感情や思考を表現する言葉を統べる仕組みを探ることは、私を成り立たせる本質が何であるのかに迫ろうとする試みです。

また、「私」は、一人で生きているのではなく、他者とつながり、社会を形成し、そこに文化を作り上げていきますが、これらは、ひるがえって、私たちの考え方や振る舞い方を作り上げるものとなります。したがって、社会や文化のあり方を考えることもまた、外部にある構造の点から、われわれが何者であるかを示します。

さて、ここで注意を向けたいのは、過去も現在もただ一つではない、ということです。世界中のありとあらゆる地域が、過去や現在を持っており、それぞれがユニークな存在ですし、私の生きている現在は、他者の生きている現在とまったく同じではありません。異なる過去や現在を持つ人々が、この世界の中で、交流したり対立したりしながら、思想や歴史、芸術、社会などを作り上げてきました。

三つ目の問い、われわれはどこに行くのか、という未来に対する問いの探求は、このような人々のダイナミックな営みを、一つ目と二つ目の問いを基盤として解き明かすことの延長にあります。この問いが、不確定な未来を心配したり、行先がわからないことを嘆いたりするものではなく、より意義のある未来を生み出すための問いとなるためには、「われわれ」自身の姿を多元的な視座から描き出すことが必要です。

それは、人がこれまでに生み出し、また、今まさに生み出しているものの意味を、過去から未来へつながる時間と、世界という空間的な広がりの中で、自在に動く思考により、解き明かしていくことなのです。その点において、文学部に属する人文学が構成する学問世界は、単にわれわれの過去や現在を見つめるだけではなく、未来を構想するためのものです。人文学の知がもつこのような可能性を探る営みに、あなたも参加してみませんか?

(文学部/社会心理学)
 

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