HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報565号(2014年5月14日)

教養学部報

第565号 外部公開

本郷各学部案内〉経済学の目的

小野塚知二

565-H-5-2-01.jpg経済学の目的とは何でしょうか。予め誤解を避けるためにいうなら、金儲けではありません。経済学は学問ですから、how to make moneyといった実利ではなく、真理の探究を目的としています。では、経済学が探求すべき真理とは何でしょうか。教科書的にいうと、市場の諸現象と、それに関連する人の行動や意図とを合理的に説明することが、経済学の目的です。では、経済学はなぜ、そのようなことを説明しなければならないのでしょうか。

それに答える仕方は何通りもありますが、ここでは、経済学の起源に遡って考えてみましょう。現在知られているような経済学の体系に最初に道を拓いたのがアダム・スミスであることは誰もが認めるところです。では、スミスはいかなる意味で経済学の開祖なのでしょうか。それはスミスが市場を発見したからなのです。市場(いちば)は誰もが実感できる実在といってもいいでしょう。しかし、市場(しじょう)とは見ることも、触ることもできない何かです。市場(しじょう)とは人の知恵が産み出したフィクションといってもいいでしょう。しかし、このフィクションを措定すると、さまざまなことが非常にうまく説明できるようになるというのが、「市場の発見」ということの意味です。

では、スミスは「市場を発見して」、何を言いたかったのでしょうか。スミスは、現在の学問分野でいうなら、経済学だけでなく、天文学、法学、倫理学などさまざまな分野で活躍した人ですが、経済学的な主著『諸国民の富(Wealth of Nations)』で彼が主張しようとしたのは、国内の富を減らすまいとして貿易を規制したり、富を増進しようとして特定産業を育成しようとしたりしても、そうした国の政策(=重商主義)は無益であるということでした。貿易・営業・職業(英語ではtradeの一語で表現します)を国が規制するよりも、人々の自由な行動や意図に任せる方が、一国の富はより順調に増進する(今風にいうなら経済成長する)というのがスミスのメッセージなのです。

565-H-5-2-02.jpgでは、なぜスミスはそうしたfree trade(自由経済)を唱えたのでしょうか。この点については現在でもさまざまな説――たとえば「神の存在」を証明したかったのだといった説など――があって、定説はありません。東大経済学部では、スミス自身の書き込みのある旧蔵書を三百点程所蔵していて、スミスの意図を再構成しようとする新しい研究プロジェクトを立ち上げつつあります。

スミスの意図を確定するのは容易ではありませんが、スミスが長く読み継がれてきたのは、自由経済の主張が、人々の幸福の条件であると承認されてきたからにほかなりません。人の幸福とは当人の主観的なことですが、幸福を実現する条件には多くの人に共通する部分があります。それを科学的に解明することこそが、スミス以来の経済学の究極の目的だったのです。経済成長はその目的のための一つの手段です。現在では、食糧・エネルギー・温暖化などの観点から意図的に経済成長を統御することも、幸福の条件として注目されるようになっています。経済学部に進学して、ぜひ、こうした本質的な問題を考えてみて下さい。そのための入り口は、さまざまな理論、統計学、経済の諸分野の現状分析や政策研究、歴史、経営学・会計学、ファイナンス研究など実に多様で、経済学部はさまざまな関心に応えられるように、日々、教育と研究を研ぎ澄ましています。

(経済学部/西洋経済史)

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『国富論』初版(1776年)表題頁

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