教養学部報
第570号
〈駒場をあとに〉 真実を求めて
和田純夫
偉そうなタイトルを付けましたが、主語は私ではなく人類です。私がたいしたこともできずにもたもたしていた間にも、人類は真実を追求して前進してきたのだなあという感慨の表現です。
この世界の真実を知るには物理学だという偏見? から四〇年余り前に駒場の研究室に入りました。「ブートストラップ理論」という考え方が隆盛だった頃で、この世界はつじつまの合うようにできているのであって、自然の根源を追求しようとするのは無意味といった発想があり、妙に感心した記憶があります。
しかし、私が大学院にいる間に革命的な転換が理論と実験両方に起こり、物質はクォークという粒子からできているという(以前からあった空想のような)話が、誰も反駁できないほどの説得力をもって前面に出てきました。自然界の基本的構成粒子を探そうと進んできた人類のいとなみは間違いではなかったと納得しましたが、その後四〇年、この分野でこれほど自然観の根本にかかわる展開はなかったようです。幾つかの興味深い発展があったことは確かですが。
私の狭い視野から見た、物理学関連でのもう一つの大発展は、ビッグバン理論の確立でしょう。もちろんビッグバン理論は四〇年以上前からあった興味深い話でしたが、データも不確実で、誕生してからまだ七〇億年の宇宙に、年齢一四〇億年の天体が存在するといった話がいきかう、堅実な学者にとっては近寄りたくない分野のように見えました。しかし徐々にですが、宇宙の年齢は一三七億年なのか一三八億年なのかといった議論がなされる分野に変貌しています。宇宙の始まりには何が起きたのかといった議論もなされましたが(私も多少関係しました)、こちらはまだ堅実な学者にとっては危うい世界のようです。
物理学にはもう一つ危うい分野があって、量子力学の解釈問題と呼ばれています。量子力学が現代科学の花であることに間違いはありませんが、そもそも量子力学の式が何を意味しているのか分かっていない(少なくともコンセンサスはできていない)という話は皆さんご存知でしょうか。いろいろ考え方はあるのですが、宇宙全体を量子力学で考えるという危うい話に一時、のめりこんだ流れで、私は「多世界解釈」こそ真実だと確信するようになりました。
この流派は支持者を増やし、今世紀(二〇世紀)中にこの考え方で決着がつくと発言した著名科学者もいましたが、どうもそうはなっていないようです。教科書にはまだコペンハーゲン解釈という主張が標準理論として説明されています。論理実証主義という、「厳密」だと主張される哲学の精神的あと押しも受けているようで、私に言わせれば困った話です。
自分には関係のない話だと受け取る読者がほとんどでしょうが、科学(量子力学)が記述しているのは実在の世界に対応しているのか、人間の認識を離れた実在というものが存在しうるのかという、根源的な問題にかかわった話です。「コペンハーゲン解釈はいつか、科学史上最大の詭弁だったと言われるようになるだろう」という、この問題で不遇な時期を経験した、ある科学者の発言に全面的に賛同したくなるのは、私が思い込みが激しい人間だからでしょう。
宇宙の始まりに関心をもったことがきっかけで、そもそも人間は宇宙全体の歴史をどれだけ科学的に理解しているのかということを調べたことがあります。まず宇宙空間が誕生し、粒子が誕生し、天体が誕生し、元素が誕生し、太陽系が誕生し、地球に地殻が誕生し、自己複製機能をもった物質が誕生し、単細胞から多細胞に発展し、そしてヒト科ホモ属が誕生するまでの歴史というのは壮大な話です。まだ穴はたくさんありますが、自然科学による一貫した世界像が成立したというのは、二〇世紀後半が人類史上画期的な時代であったことを物語っているという印象を受けました。誰でも、自分が生きた時代は重大な時代だったと思いたがるようです。
この文をここまで読み続けた人などいないだろうという前提で、糸の切れた凧のように話を進めます。学生時代は、厳密な学問に変貌しつつあるという評判だった経済学に理系から進みたいと思ったこともありました。そのエネルギーも能力もなかったのでそうはなりませんでしたが、消費税増税の是非さえ決められない経済学というのは何なのだろうかといういら立ちを最近、感じています。四月の増税のときも優等生的な建前論が先行し、経済学はどこにいったという印象でした。結果はどう見ても大失敗だったようです(反対する経済学者がいたことは知っています)。
「真実をもとめて」という観点から今、最も関心があるのは歴史問題です。近代日本と古代日本両方の見直しが、日本人にとって避けられない課題になっていると感じます。
最近、戦中の出来事に関係する幾つかの歴史問題が議論になっており、写真や証言の真偽を丁寧に調べ上げてこられた人々の努力には頭が下がりますが、真実を世界はおろか日本に広めるにも、まだ気の遠くなるような努力が必要なようです。マスコミや言論界の過去そして将来が問われています。
四七年前の大学受験のときは日本史を選択しましたが、箸墓古墳(卑弥呼の墓?)などという名称は聞いたことはありませんでした。この遺跡も含め、弥生時代から前期古墳時代の遺跡の年代の同定が二〇世紀末に大きく変わりました。そしてその結果、卑弥呼の時代に大和政権が成立していた/成立したという主張が無理なくされるようになりました。学生時代、第十代崇神天皇以前の話は支配者の捏造と教わりました。しかし箸墓古墳に葬られているとされる姫は第七代孝霊天皇の皇女ですから、魏志倭人伝の記載と記紀の記載がつながったわけです。この他にも、記紀の記載を裏付ける考古学上の発見が続いています。
日本史の見直しと、コペンハーゲン解釈からの脱却と、どちらが速く進むのでしょうか。あるいは進まないのでしょうか。真実を知ったと感じる瞬間は楽しいですが、それで終わりというほど世の中は単純ではなかったというのも実感です。
(相関基礎科学系/物理)
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