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最終更新日:2021.02.03

教養学部報

第571号 外部公開

「靱」の人――古田元夫先生を送る

村田雄二郎

最初にお目にかかったのは、たしか古田先生が教養学科アジア科初代助手として着任されたときで、こちらは教養学科「第二」アジア科に進学したばかりの三年生。一九七八年四月のことだから、おつきあいは三〇数年になる。おつきあいといっても、こちらが受け取るものばかりの「不等価交換」なので、師事というべきかもしれない。

助手室が八号館にあったころだ。いや、まだ第八本館と呼んでいたかもしれない。当時ハノイの留学からもどられたばかりの古田先生の書棚には、ベトナムから持ち帰られたペーパーバックの本がたくさん積まれていた。見慣れぬ文字から、ベトナム語(コックグー)がアルファベットで書かれることを知ったのもそのころだった。

「革命」は収束しかけていたものの、ベトナム戦争が終結したと思ったら、中越戦争が始まったり、ソ連のアフガン侵攻が起こったりと、まだまだ物情騒然としていた時代である。物腰のおだやかな先生は、手のかかるわれわれ学生に実に紳士的に接してくれた。いまとまったくかわらぬ穏やかかつ丁寧なことばづかいで。

それ以来、今度は同僚として古田先生に「師事」するようになって、ちょうど四半世紀が過ぎた。『ベトナムの世界史〜中華世界から東南アジア世界へ』(一九九五年)をいただいて一読したときの衝撃は忘れられない。日本のアジア研究の精髄がここに凝縮されていると思った。そして自分もいつか中国を対象にこういう本を書きたいと思ったが、いまだ果たせていない。おそらく一生無理だろう。学内の会議や打ち合わせなど必ずしもアカデミックとはいえない場面でも、古田先生の口から発せられる何気ない一言から受けた啓発と学恩は数え切れない。

古田先生は研究・教育・管理業務のどれをとっても、まごうかたなき「大物」教授である。しかも、誰もが納得する無類の人格者である。教員・学生の多くは、まだ一度も先生の怒る顔を見たことがない。しかのみならず、先生が愚痴をこぼしたり人の悪口を言ったりするのを聞いたことがない。

もちろん、準備不足の学生に対して、先生が指導の場でやや気色ばむ場面は二、三度あったように思う。しかし、それはあたかも子供の非行を諭す慈父のような穏やかな口調であった。

ただし、古田先生もベトナムではごくまれに爆発することがあるらしい。それもベトナムの人々への愛の裏返しであろう。一度見てみたいものだ。

学部長をつとめられているとき、先生のお供で北京までBESETOHA(東アジア四大学フォーラム)の会議に参加したことがある。帰りの空港で、古田先生は「忍」字の掛け物を購入された。ちょうど、廃寮問題の最終局面で学内が極度の緊張にあったときだ。周りは「いかにも古田さんらしい」といって手を打ったが、先生にはむしろ「靱(しなやか)」字のほうが似合うと思った。まっすぐに姿勢を崩されず学部長をつとめあげられた先生は、実は果断の人でもあったからだ。

往事を顧みると涙が出そうになる。駒場の「行政」の重みを、竹のごときその「靱」性で支えてこられた先生が去られるのは、寂しい限りである。

古田先生、本当にありがとうございました。

(地域文化研究専攻/中国語)

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