HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報571号(2015年1月14日)

教養学部報

第571号 外部公開

〈駒場をあとに〉東大駒場への感謝

小島憲道

571-D-5-1.jpg早いもので京都大学理学部から東京大学教養学部・総合文化研究科に移って二一年になり、二〇一四年度で定年を迎えました。定年を迎えるにあたり、この場を借りて研究者としての歩みを振り返ってみたいと思います。

私は一九六八年に京都大学理学部に入学しましたが、入学当時、尊敬する湯川秀樹博士が現役教授を勤めておられ、理学部キャンパスで湯川先生の姿を見るだけで励まされ、身の引き締まる思いでした。一九六八年は理学部にとって教育システムの大改革が行われた年でした。進学試験が撤廃され、定員を超えても希望する学科に誰でも進学できるシステムに変わり、また学科を越えたカリキュラム改革、必須科目の全廃という大胆な改革が行われました。私は物性現象に関心を持っており、物性科学を開拓するには物質の合成能力が将来必要になるとの思いから、専門課程では主として物理学と化学を学びました。化学科には、遷移金属錯体の物性研究を行っている辻川郁二先生がおられ、一九五八年に日本物理学会欧文誌に発表されたルビーの光吸収スペクトルの詳細な研究が世界初のルビーレーザーの発明(一九六〇年)の引き金になったことを知り、四年生から大学院生まで、辻川研究室で遷移金属錯体を対象とした磁気光学の研究を行いました。

一九七八年に博士課程を修了した後、若き日に配位子場理論を築かれた菅野暁先生(当時、東大物性研究所・教授)の誘いを受けて、NHK放送科学基礎研究所で磁気光学の研究を行いました。当時、菅野先生が客員として指導されていたNHKの磁気光学部門は、国際的にも重要な研究拠点であり、菅野先生から薫陶を受けた研究への姿勢は、私にとってかけがえのない財産になりました。NHKでの研究を終えた後、京都大学教養部非常勤講師、神戸常盤短期大学専任講師を経て一九八四年に京都大学理学部に戻り、一九九四年まで助手、助教授を勤めました。

一九九三年までに、博士課程の学生を全てアカデミックポストに就職させ、自由な身となってドイツ・マールブルク大学に留学しました。留学前に行った研究の中で、金混合原子価錯体の圧力誘起原子価転移と絶縁体・金属転移の発見がありますが、この研究を更に進めるためには、超高圧下における金のメスバウアー分光(金原子核のγ線共鳴吸収分光)が必要でした。この研究を実現するには、γ線源を作製するための原子炉、超高圧・極低温下でのメスバウアー分光システムが必要であり、これら全てを備えている所はドイツしかありませんでした。幸い、文部科学省在外研究員としてマールブルク大学に留学することになり、ベルリンの原子炉で中性子を照射して作製した金メスバウアー分光用γ線源(197 Pt)をアウトバーンでマールブルク大学まで運び、超高圧・極低温下で金混合原子価錯体のメスバウアー分光実験を行い、高圧下で金混合原子価錯体の電子状態が劇的に変化することを見出しました。

こうしてドイツでの実験を成功させ、京都大学に戻った一九九三年の秋に、東京大学教養学部の尊敬する先生から教養学部・教授への応募の誘いがありました。大学院重点化に伴って、駒場キャンパスに文系・理系を合わせた大学院総合文化研究科を設立し、理系では物質科学の分野を強化したいので応募して欲しいという誘いでした。横断的研究から新しい学問分野を生み出す教養学部の自由な学風は京都大学理学部の学風と共通するところがあり、新しい大学院の創設に共感を覚えて移りました。
東京大学では、物質に圧力や光照射などの外場をかけ、常温常圧下では見られない新しい現象を引き出す研究に取り組みました。このような発想は、ドイツに留学していた時、高圧下で金混合原子価錯体の電子状態が劇的に変化することを見出したことから生まれました。物質を研究する際、物質の構成元素の種類を広げた物質群や有機・無機複合物質、光学的性質・磁性・伝導性を組み合わせた多重機能性、低温・高圧などの極端条件を組み合わせた多重極端条件という多次元座標で物質を眺めると、そこには全く新しい物性・機能性を秘めた未開拓の領域が広がっていることに気がつきました。

このような方針のもとで、金混合原子価錯体において光照射により電子状態を制御し、絶縁体を金属に変換できたこと、金属錯体の強磁性を光で制御することに成功したこと、絶縁体である鉄混合原子価錯体が温度を下げてゆくと電子が一斉に集団移動する現象を発見したこと、pHに応答してスピン状態が変化する金属錯体膜に電圧をかけてプロトンの流れを眼で直接観測したことなど、心をときめかす発見がありました。このような研究ができたのは、優秀なスタッフおよび学生達が私の研究方針に賛同し、応えてくれた賜物であり、深く感謝いたします。

ところで、京都大学から東京大学に移る時、もう一つの動機がありました。新渡戸稲造、三谷隆正、矢内原忠雄、前田陽一など偉大な方々が一高時代から築いてきたリベラルアーツの精神を、教育と研究を通して微力ながら継承したいという気持ちでありました。この間、思いがけず総合文化研究科長・教養学部長になりましたが、何時も心にあったのは、自分の判断が正しいかどうか、分際を超えていないかどうかという自問自答でありました。総合文化研究科・教養学部は約五百名の教職員で構成されていますが、四年間学部長室にいたこともあり多くの教職員の方々と交流することができました。

特に、様々な言語に接する機会が与えられたこと、文系の先生方に誘われて哲学旅行を楽しんだこと、二一世紀COEプログラムを通して研究テーマを広げることができたことなどが思い出されます。そして何よりも、優秀な東大生に対して真剣勝負で行った様々な授業が私を育ててくれました。東大駒場に心から感謝の意を表します。

(相関基礎科学系/化学)

第571号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報