HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報575号(2015年6月 3日)

教養学部報

第575号 外部公開

賞と研究─化学の場合─

高塚和夫

二〇一四年度の日本化学会賞を頂いたのを機に、学部報委員会から何か書くようにとのお誘いを頂いた。

日本化学会は、約三万人の会員を擁する学会である。その特徴は、基礎化学と応用科学・工業化学・産業界が一体となって組織化されていることである。会長もアカデミアと産業界から交互に選ばれていて、昨年と本年度は、東レの会長で、化学会長選挙の直後に経団連の会長に推挙された榊原定征氏である。ここに日本物理学会、応用物理学会等との大きな違いが見られる。

若い時には、このような化学会のあり方が不純だと感じていたが、今は、これが化学会の強みなのではないかと思っている。何しろ、私は大学紛争のさなかに入学し、「産学連携粉砕」という立て看板の中で育った世代だから、若い時分の印象は無理からぬものがある。逆に今の私は、超並列計算機「京」の設置に伴って分子科学研究所内に作られた「計算分子科学研究拠点」の責任者として、「産学連携」を追求する立場にいる。その目的は、大学院で学位を得たばかりの理論化学者・計算化学者が、大学に残るばかりではなく企業へも進出するキャリアパスを模索すると同時に、化学計算シミュレーションで頑張っている職業人の研究レベルをリフレッシュするあり方を考えることである。

これは理論・計算化学の特有の問題ではなく、「ドクター」の社会的受容という観点から重要であって、「高度な研究者」というかけがえのない社会的知財に如何に貢献してもらうことができるかという課題である。この点に関して我が国は、たとえば米国に比べて、非常に貧弱で「もったいないこと」をしている。昨今、日本社会が反知性化していると言われる。その社会的意味や政治状況は承知しているつもりだが、ドクターの社会的受容の貧弱さは、従来から存在しているわが国の反知性的側面を象徴しているといっても過言ではない。

化学会が授与する賞は、peer reviewのメカニズムの下で選考が行われる。その中で、最先端の学術的な研究ばかりでなく、若い研究者のための「進歩賞」、女性化学者の「女性化学者奨励賞」、現場での化学技術の開発に大きな成果を挙げた人やチームのための「化学技術賞」、「技術進歩賞」、「化学技術有功賞」、さらに、化学教育で重要な貢献をされた方々に対する「化学教育賞」、「化学教育有功賞」といった顕彰の他、「化学遺産認定証の贈呈」というものがある。特に、優れた実験教材を開発して「化学教育有功賞」を受賞された中学・高校の先生方には、心より拍手を送りたい。

今回「進歩賞」を受賞された中の一人の倉重祐輝氏(分子科学研究所)は、既に優れた研究をし、将来を嘱望されている俊才だが、教養学部一年生の時に私の「構造化学」の授業を受講してくれていたらしい(毎年一〇〇〜二五〇名の学生を相手にする私には記憶がないが)。その倉重君が授賞式の後で、「この度先生と同じ時に賞を頂けて、ようやく専門の理論化学者になれたような気がします」と言ってくれた。これは一例で、方々の学会や研究会で、化学以外の分野の研究者からも「教養の時に先生に習いました」と言われて、嬉しい思いをすることがある。不特定多数(?)を教室に迎える私たち駒場の教員は、このように影の「教育有功賞」を頂ける特権を持っている。

駒場は優れた化学研究者を輩出している。しかし、教員としての化学会賞受賞は土屋莊次先生以来二〇年ぶりで、六七回の歴史の中でたった二人目である。これには、カラクリがある(と思う)。化学研究は従来、講座制の下に発展し、典型的には、教授、準教授、助教二名、大学院生二〇〜三〇名以上という組織を構えて邁進し、高い「質」だけではなく「量」も求められるからである。新しい学説を納得してもらうためには、「これでもか、これでもか」と打ち出す必要性があることは、化学ならずともどの分野でもあり得ることである。

しかし、量に頼むのは駒場では難しい。私がたまたま受賞できたのは、運が良かったということの他に、「量」を産生することに対する圧力が比較的弱い理論化学の分野だったということもあろうかと思う。実際、化学会には「学術賞」というものも設けられていて、その授賞対象として、「化学の基礎または応用のそれぞれの分野において、先導的・開拓的な研究業績をあげた者で、論文の数というよりは、論文は少数でも優れた業績をあげた者に授与する」とされている。私は常々同僚に「量を求めることは止めよう。ゲリラで行こう(つまり、新しい化学の分野を切り拓こう)」と声を掛け合っている。学際的な隙間を狙うのも一つかもしれないが、それよりも、新しい研究領域を開拓したい、それが願いである。逆にそう思い定めてしまえば、自由な研究ができるという意味で駒場は極めて有難いところである。私は化学部会に属しているが、多体量子動力学、半古典力学、カオスの量子化、非線形力学(ファジーシステムのカオス、形態形成の動力学、コヒーレントなニューラルネットワーク、等)など数理的な研究を院生たちと楽しみ、化学とは直接関係しないように見えるところでも論文を書いてきた。

さて、いよいよ私たちが展開してきた標題の化学反応電子動力学理論の説明をしなければならない。しかし、序論で筆が滑っているうちに紙数が尽きてしまった。別の機会に譲りたい(学術的な記述を期待してくださった方々には、申し訳ありません。最近World Scientific社から出版した“Chemical The­ory beyond the Born-Oppenheimer Para-
digm”という本を読んでください。また、授賞内容については、和文の日本化学会誌「化学と工業」三月号二一四ページに記載されています)。

最後に、私の研究人生で頂いた最高の賞は、素晴らしい師、先輩、研究者、同僚の他に、無謀にも研究室に飛び込んできてくれた多くの大学院生やポストドクたちに巡り合えたことだと思う。化学会賞を勝手に研究室賞と再定義して、彼らと受賞を分かち合いたい。

(相関基礎科学系/化学)

第575号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報