HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報576号(2015年7月 1日)

教養学部報

第576号 外部公開

<本の棚>想像へと誘う発見の書

古荘真敬

見事な本である。素直に脱帽するほかない。永年にわたる粘り強い調査の賜物であろう発見の数々に目を瞠りつつ、実証的な文学研究というものの面白さを堪能することができた。

「外国文学研究の成果はどの言語で発表されるべきか」というアクチュアルな問題に真摯に応答する佐藤さんの使命感を表現する渾身の作ともいうべきこの大著(六五六頁!)は、後にいわゆる民藝運動を創始した柳宗悦が一九一四年に発表した『ヰリアム・ブレーク』のもつ、ブレイク解釈および受容史上の卓越した意義を明らかにしながら、西洋の動向に追随するだけの外国文学研究を拒否して(漱石とも通じる)「自己本位」型の研究を志した柳宗悦の努力の価値を浮き彫りにする。そして、ブレイクのうちに「東洋的色調」をみてとった柳の慧眼が、実証的な観点からも再評価すべきものであることを示していくのである。資料を博捜しつつ緻密に展開されていく考察の途上では、その他、含蓄に富んだ多くの発見が読者にプレゼントされる。独特の「革命思想」を核とするブレイクの詩文を、柳は、かの大逆事件の時代、いかなる思いとともに読解したか。英国におけるブレイク愛好家サークルの活動が、ラファエル前派やジャポニズムの文化運動といかに連動していたか。無理解なパトロンによる干渉として否定的にのみ語られがちなヘイリーとの交流は、実は、いかなる異文化への窓をブレイクの前に開くものであったのか等々。そういった興味深い問題が次々に提起されては、鮮やかな解明が与えられていくのである。門外漢の私は、めくるめく文化・文学・思想の歴史絵巻の展開にうっとり酔いつつも、とりわけ佐藤さんの解説するブレイク思想における「想像力」概念に心奪われた。

「生きとし生けるものはすべて神聖である」。これは、本書で繰りかえし引用される『天国と地獄の結婚』における「肯定の思想」の集約的表現であるが、われわれ凡夫はそんなこと本気で思えるはずがない。いつの世の巷も、さまざまな不正・不当をめぐる怒りや悲嘆、あるいは、たえざる自他の品定めから生じる嫉妬や軽蔑、自己卑下や怨嗟の声が満ち満ちている。口を開けば愚痴や悪口ばかりを言って過ごす、そんな生活のなかで、いったい誰が本気で「生きとし生けるものは神聖である」などと言うことができようか。しかしブレイクによれば「想像力」こそは、千々に乱れるわれわれの魂を、幾多の対立・葛藤を超えた場所へと導いてくれるのだ。「想像力の時代」には「ある事柄がそうであるという固い信念は、その事柄をそのようにあらしめ」「山をも動かした」のだとされる。なるほど今では「多くの人々は固い信念を持つことができなくなっている」にしても、原初においてはそうだったのであり、末世のわれわれを救済するのは、かの原初の想像力あるいは「詩的精霊」の回帰に他ならないと考えられているようだ。

これは、いったいどういうことだろう。思うに、ここでは、「光あれ」と言えば「すると光があった」(旧約聖書「創世記」)ということになったとされる神的言語の産出力が夢見られているのである。無論、それはわれわれ(新約聖書「マタイ伝」十七20にいう「信仰うすき」者たち)の言語ではない。「Sはあります!」と単に誰かが言ったからとて、あるいは固く信じて念じても、そのSが「あった」ということにはならないのが、われわれの悲しくも貧しき言語の世界である。その貧しさゆえの空騒ぎが、われわれ凡夫の「研究不正」を取り締まる「倫理」であったりする。ああ実に涙ぐましく下らない狂躁。しかし、原初の詩的精霊に身を委ねて一体になれば、「人々は何が善で何が悪であるか、何が正しく何が誤っているかについて議論することも、サタンの迷宮で苦悩することももはやなく、人の想像力の中に存在するとおりの永遠の実在と会話をする」(『最後の審判の幻想』)ことになる。そして「生きとし生けるものは神聖である」と本気で言えて、本当にそのとおりになるのである。そういう詩的精霊(神的言語)の産出力をこそ「想像力」と名づけるブレイクの詩文に魅せられた柳宗悦は、やがて、もはや「人の手」ではなく「自然の手」となった「陶工の手」の美的創造力を直観し、あるいはもはや「人の声」ではなく「仏の声」であるところの「名号」に惹かれ、民藝運動や妙好人研究へと進んでいったのだと、本書は教えてくれた。何とまあ魅力的な世界であることか。俗世におけるわれわれ一人一人の生き方をあらためて「想像」しなおす機縁を与えてくれる書である。熟読玩味をお勧めしたい。哲学屋の私としては、さらに例えばカントやフィヒテの「構想力」概念の解釈に、これがどのような示唆を与えてくれるものか、今度またゆっくり夢想してみたいと思っている。

(超域文化科学専攻/哲学)

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『柳宗悦とウィリアム・ブレイク 環流する「肯定の思想」』
佐藤 光 著
東京大学出版会、12000円+税

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