HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報577号(2015年10月 7日)

教養学部報

第577号 外部公開

物語と哀悼

竹峰義和

「どんな哀しみも、それを物語にするか、それについての物語を語るならば、耐えられる」

ハンナ・アーレントが『人間の条件』の第五章のエピグラフに掲げた、ある作家の言葉である。たとえば家族や親しい友人の死を経験したとき、しばしばわれわれは、その人にまつわる過去のさまざまな出来事について、誰かに向けて、あるいは心のなかで密かに物語る。それは、愛する人の身体が永遠に消滅してしまったあと、彼/彼女のことを絶えず想起し、記憶のなかにとどめつづけていくことが、死者と触れあうためのほとんど唯一の手段となるからだろう。だからこそ、写真とともに言葉が哀悼のメディアとしてもちいられ、遺影に象徴される視覚的なイメージを説話によって補うかのように、「あのときは…」といった昔話が幾度となく語られるのである。

もちろん、語りによって再現される過去は、つねに事実に忠実であるわけではない。どんなに辛い人生を送った人であっても、遺影として選ばれるのは、たいていが楽しげに微笑んでいる写真であるように、死者について回想するとき、意識的にであれ、無意識のうちにであれ、取捨選択、脚色、美化などの操作が幾重にもおこなわれ、幸福な瞬間やエピソードが優先的に記憶のなかに保存される。逆に言えばそれは、好ましくない記憶の数々が選別され、ポジティヴな記憶へと書き換えられたり、あるいは排除、抑圧、忘却されたりすることと同義でもある。エゴイスティックなフィルターで濾過された記憶の数々をフェティッシュなかたちで反芻することが、哀悼というものの実態である─そのように、斜に構えて主張することもできるかもしれない。

さらに、いかに日常生活をずっと共にした親密な間柄であったとしても、遺されたわれわれにとって想起可能なのは、あくまで自分との関係のなかでの相手という、ごく限られた部分のみである。しかも、感情や思考といった内面については、推測することや想像することはできても、実際はどうだったかについては、けっして正確には知ることができない。つまり、死者についての物語とは、一面的で主観的なものという制約をどうしても免れえないのであり、一方的につむがれた一人よがりのモノローグであらざるをえないのだ。実のところ、真の哀悼の対象とは、故人そのものというよりも、彼/彼女との関係のなかで構築された失われた自分自身であり、そのナルシシズム的な埋め合わせとして、虚構を交えつつ物語化された記憶の数々が必要とされるというのは、あまりにうがった見方だろうか。

「語りえぬものについては、沈黙しなくてはならない」(ウィトゲンシュタイン)。確かにそのとおりだ。だが、親しい人の〈死〉という出来事をまえにして、その圧倒的な喪失感と哀しみを何とか「耐えられる」ものにするための方途として、個人的なレヴェルで物語ることを禁じる権利は誰にもない。とりわけ、継続的に物語るという行為によってはじめて記憶が保たれていくとすれば、死者について沈黙することは、そのまま忘却することを意味するだろう。物語のなかで保存される故人のイメージが、語り手=回想者の主観性による屈折や濁りを孕んでいることは確かである。それを死者への冒瀆と呼ぶことも可能だろう。しかしながら、物語ることを止めた瞬間から、記憶のなかのイメージは急速に色褪せていき、やがては完全に忘却されることとなる。いうなれば死者は忘却されることで第二の〈死〉を迎えるのであり、その残酷な最後を何とか遅延するために、われわれは故人のことを絶えず回想し、執拗に語りつづけるのではないだろうか。

『啓蒙の弁証法』のなかでアドルノとホルクハイマーは、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』における語りの機能について、凄惨な暴力について報告される場合であっても、「それがはるか以前の出来事であった」という点に「希望」が宿っていると主張している。「「むかしむかしのことでした」という追想のなか」にこそ「慰め」となる契機があるのであり、そこですべては「メルヒェン」へと移行するというのだ。死者についての語りにたいしても、同様のことが言えるかもしれない。もはやすべてが過去形でしか語りえないなかで、にもかかわらず死者について何度も語り、失われたものを現在へと倦むことなく召喚しつづけること。その反復的な身振りをつうじて、過去の出来事の数々は、激しい情動を喚起するトラウマ的な対象から「追想」の対象へと徐々に変容し、「メルヒェン」のようなユートピア的色彩を少しずつ帯びていく。おそらくそれが一般に「喪の作業」と呼ばれるものであって、死者についての語りが完全に「メルヒェン」となったとき、そのプロセスはひとまず完了するのだろう─それがどれほど長い時間を必要とするかは、悲哀のただなかにいる者には想像もつかないにせよ。

(言語情報科学専攻/ドイツ語)

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