HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報579号(2015年12月 2日)

教養学部報

第579号 外部公開

送る言葉 ─木村秀雄先生を送る─ 「キムにい」のこと

森山 工

木村先生、木村さん、キムにい、キムキム─。わたしが木村先生を呼ぶときの呼び方にはざっと四つあります。その場が公的な場であるかどうか、馴れ馴れしさを直裁に出してもよい場であるかどうか、お酒が入っているかいないか、などに応じて、この四つのうちのどれかになるのですが、そもそも十歳ほども年齢が下である目下のわたしに、このように呼びかけることを許してくれているということそのことが、木村秀雄という人格のあり方を示しているように思います。

はじめてお目にかかったのは、わたしが文化人類学の大学院修士課程に入学してしばらくたったころのことでした。木村先生が(この紙面は『学部報』という公的な場であるので、ここでは「木村先生」という呼び方を使います)本学に着任される前のことでした。すらりと伸びた姿勢のよさ。眼光が鋭いのに、全身から滲み出る不思議な親密感があることに、強い印象を刻まれたものでした。

そのときから木村先生は、わたしにとって偉大な先達であると同時に身近なアニキでもありました。木村先生との距離のとり方(もっとありていにいえば、距離のとらなさ加減)は、そのときも今もかわっていません。わたしが本学の教員となり、木村先生の目下の同僚となってから、そしてとりわけ、十八号館の同じフロアで隣り合う研究室を居室とするようになってから、木村先生との日常的なやりとりは濃密さをまし、なかにはビックリするような出来事もあったのですが(それらはたいていお酒がらみでした。酔ったあげくに額で生卵を割ってみせる、とか。とてもこわくて全部は書けません)、鋭さとやさしさが不思議な同居を果たしている人格という印象はついぞかわることがありませんでした。

研究で、教育で、行政で、木村先生とはご一緒する機会が多々ありましたが、わたしが感動といえるほどの思いを味わったのは、木村先生の学生に対する態度、つまりは教育者としての木村先生のお姿にでした。学生思いという言い方がありますが、木村先生はたんに「学生思い」であるというよりも、教室で、あるいは論文指導で、顔の見え合う関係にある一人ひとりの学生に、その都度真剣に向き合うという真摯な態度を貫いておられます。とくに、木村先生がその創立以来、現在にいたるまで心血を注いで運営に携わってこられた大学院教育プログラムの「人間の安全保障」プログラムでは、木村先生の教育者としてのこのようなお姿が如実に示されていました。同プログラムでずっとご一緒させていただいたわたしとしては、この上なく幸せなことでありました。

そんな木村先生、わたしにとっては「キムにい」である木村先生も、このところの学部新入生からは「キムじい」と呼ばれるようになっているとか。歳月を象徴的に示すエピソードではあります。「ディグニティのある顔立ち」。フランス中世文学の故新倉俊一先生が木村先生を評したことばが残っています。その「ディグニティ」には、今や奥深い渋みが加わったというべきなのかもしれません。

(地域文化研究専攻/フランス語・イタリア語)

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