HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報581号(2016年2月 3日)

教養学部報

第581号 外部公開

<送る言葉> ─山本泰先生を送る─

佐藤俊樹

These Happy Golden Years

『教養学部報』恒例の送る言葉で、よく使われる文言は「長いおつきあいで」や「お世話になりました、ありがとうございます」だろう。
別にそれでまずいわけではない。むしろこういう挨拶は、恒例の言葉に深い想いをこめてこそ、美しい。

とはいえ、これも時と場合による。私の指導教員でもある泰先生は、なかなか一筋縄ではいかない方なのである。決まり言葉をただ並べたら、にやにや笑いながら「トシキくんにしてはありきたりだね〜」と憎まれ口を叩くに決まっている。

そんな予測がすぐつくくらいには、長いつきあいだ。教養の二年生の冬学期(今はA学期か)からだから、かれこれ30年以上。教養学部のなかでも、記録保持者級かもしれない。

おかげで、何を言えばどう返ってくるか、大体わかってしまう。まるで長年の漫才コンビのぼけとつっこみである。泰先生のムチャ振りの最大の被害者はたぶん私で、私のブチギレの最大の被害者は、たぶん泰先生だろう。

しかし、それでも未だにうまく予測できないものが、一つある。論文の審査や中間発表会などで、泰先生が口にするコメントだ。大抵の場合、予想外のことを言われてしまう。いや正直に言おう。大抵の場合、こちらの上を行かれてしまうのである。

「ああ、そう見ることができるのか!」とか「うまく言葉にならなかったが、なるほど、そういうことか!」とか。駒場の二年生のときからずっとそうなのだから、かなりくやしいことでもある。

もともと泰先生とは十歳余りの年齢差しかなく、大学院生の頃から、「会話をきいていると、どちらが指導教員かわからないね」と冷やかされた。一号館、当時はまだ第一本館だったが、その前を二人で歩いていたら、某宗教団体から泰先生だけ勧誘されたことさえあるが、それでも私としては「そんなの、コメント聞けば丸わかりだろう」と思ってしまう。

困ったこともある。口頭試問などで泰先生がコメントすると、学生が何を言われたのか理解できずに、きょとんとしたりする。すると、泰先生は私の方を向いて、「俺、変なこと言ってないよね?」という顔をするのである。

いやいやいやいや。わかるように話すべきなのか、わかる程度には修行すべきなのか。どちらにせよ、少なくとも私の責任ではないはずだ。でも、長いつきあいは、そんな常識を許してくれないのである。しかたがないので、かみ砕いて解説させられるのだが、これって一種のただ働きじゃないだろうか……。

まあ、おかげで退屈はせずにすんだ。もともと社会学者としては専門も流儀もちがい、「先生はどなたですか」ときかれて答えると驚かれたりするが、結局、この辺があまりに魅力的で、先生にしたのだから、これも自己責任なのだろう。
というわけで、泰先生、長い間ありがとうございました。楽しかったです。

(国際社会科学専攻/経済)

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