HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報581号(2016年2月 3日)

教養学部報

第581号 外部公開

<駒場をあとに> 精一杯生きたか?

高塚和夫

授業もない、校務もない、研究費は十分残っている、ただ好きな研究だけをやらせてもらえる、そんな場所に転勤するぐらいの気持ちでいるので、「駒場をあとに」を書くようにと依頼されても、何を書けばいいのか、はたと困惑する。元来、記憶力が弱く、振り返らない性格ということもあって、思い出すことが少ない。ただひたすら、研究室の教職員と研究員、同僚、学生、家族をはじめ、皆さんに良くしていただいた、本当に有り難かった、自分は運の良い人間だった、と感謝の念しか浮かばない。しかし一方、「お前は一生懸命生きたか?」と己に問う内なる声にほろ苦い思いもしている。

今日家に帰ると、愛車が廃車となるために姿を消していた。1997年、名古屋大学で教授をしていた私は、生活の便を求めて、その車を買い替えたのだった。その数か月後、突如、教養学部化学部会の小林主任が私の研究室にお越しになり、「駒場に来てほしい」と、例のはにかむような口調で求められ、結果として、面接も何もなしで異動を仰せつかった。大胆なことである。私の方は、罪悪感こそ持たなかったが、それなりに期待の大きさを重く感じた。それから今日まで18年の余、この車をたった一万七千キロくらいしか走らせていない(バッテリーは何回も替えた)。それでも研究室旅行などに良く使ったので、東京生活と重なって愛惜の念は強い。

こうして始まった駒場の生活は楽しかった。なにより、研究が自由にできる空間が素晴らしかった。私は一応化学会に所属しているが、「化学をしなければならない」などと少しも気にしたことがない。恩師の笛野高之先生に学部一年生の時に教えていただいた私は、雷に打たれたように、「理論」を使って分子を理解することを心に決めた。それは、化学はもちろん、数学や、各種の力学、特に量子力学をしっかり理解しなければ叶わない迂遠な道である。物質合成には、必ずしも量子力学の本質までわかっている必要はない。量子力学などという学問は、いまだに共通の理解がないくらいだし、私風情が新たな量子位相を見つけるくらい未完成だから、それ自体が厄介な代物である。また、分子は力学レベルや集団運動において、強い非線形性を持つこともある。カオスだの集団運動だのとかなり根本的な問題が、分子の理解には必要なのである。駒場では、こういう楽しい回り道をしていても何も苦にならない。何の圧力もない。それに、駒場には「訳のわからない」俊秀がうようよしている。そんな私の研究室に飛び込んでくる大学院生は、どこかおかしい(良い意味です)人が多かった。そうやって、広範な領域をカバーする20人弱のドクターが(勝手に)育っていってくれた。

私の父は、不器用なりに誠実な小学校教員生活を送った人だったが、「何でも精一杯やれ」の一言に加えて、「上の人に可愛がられる人になれ」と子供心には解せないことをよく言っていた。勿論、年上の人に媚び諂いなさい、という意味などではないことは、歳をとってみると良く分かる。生意気であったはずの私は、何故か諸先生、諸先輩に本当に親切にしていただいた。父や兄と思う人もいる。学問の恩だけではなく、人生の様々なことを学んだ。学位を得てから、米国でのポストドク生活、分子研、名古屋大学、東京大学へと、折に触れて私をおびき寄せるように陰に陽にサポートしてくださった方々がおられることも良く知っている。私も、そんな大きな父・兄たちの真似ができるようになりたいと思うし、これからでも遅くはないのではないかと考えている。

私たちは、銃を構えて戦場で殺し合いをせずに済んだ有り難い世代である。それでも、戦後五年余りで生まれて、戦後復興、朝鮮戦争とベトナム戦争の特需による急激な経済復興と高度成長、バブルの破裂など、時代の大きな波の中で生きてきた(東大闘争を主導した山本義隆氏の「私の1960年代」に、時代のある面の空気感がとても良く書かれている)。大学に限って言えば、1968年頃の大学紛争(東大入試の中止の年度)、その後の政府の徹底的な財務的締め付けによる大寒波の時代、1991年の大学設置基準の大綱化によるほぼすべての国立大学における教養部の廃止、付置研究所の整理、1994─5年のころに相次いで行われた大学院重点化、2004年の法人化、等々。その中で翻弄された人生を送った人や消耗しきった人は多くいるに違いない。私も、名古屋大学教養部改革による大学院「人間情報学研究科」設置後の新体制作り、総長補佐として東大法人化直後の新制度の検討、主査として統合自然科学科への改組やPEAK環境科学の設置、などを微力ながら駆けずり回ってきた(足を引っ張ってきた?)。しかし、これだけ大学人が頑張ってきても、今のような反知性主義的なリーダーたちが社会を支配してしまうのだ。それはさておき、「お前はどうだったか?」「大学人として何ができたのか?」「精一杯生きたか?」と問う声が聞こえる。しかし、自分を責め続けるのも生産的ではないし、言い訳をするのもみっともない。そこで、研究、教育、校務、学会活動などの要素を勘案して、駒場でしか通用しない単語「平均点合格」(私はこの制度に散々反対してきたのだが)を借用することにして、努力点を含めて「超低空飛行だが平均点合格がいただけたかも?」と甘い自己採点をもって総括・卒業することを許していただきたい。卒業後は、若い時分に研究者仲間と誓い合った「生涯研究者」として生きていきたい(この誓いには時代背景があるが割愛する)。

最後に、我儘な私を支えてくださった方々のお顔を瞼に浮かべつつ、何回も何回も「有難うございました」「おかげ様で楽しく過ごさせていただきました」と申し上げて、一区切りさせていただきます。

(相関基礎科学系/化学)

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