HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報583号(2016年5月11日)

教養学部報

第583号 外部公開

<本郷各学部案内>法学部

教授 平野 聡

法学・政治学への招待……
現代社会を柔軟に生きるための糧として

http://www.j.u-tokyo.ac.jp

大学入試までの皆さんは、目の前に提示された問題に「正しい」解答が一つだけあることを前提として、それに近づくよう受験勉強をされてきたのでしょう。しかし、そのような態度は今すぐに捨てましょう。何故なら大学というところは、中等教育で一定の論理的能力を身につけたことを前提として、そこから先の能力、すなわち未知の問題や多種多様な利害が錯綜する問題に対して自分なりに最適解を模索し、他者とその成果を共有してゆく能力を身につけるところだからです。一定の証拠や論拠を積み重ねながら、それがより妥当で応用可能であることを示し、人類社会一般に新たな知見を提供してゆく行為一般を、我々は科学・サイエンスと呼んでいます。理系の学問の場合、それは仮説→実験による実証→結論というパターンで明確に示されます。

ただ、社会・人文系の学問は、人間の個性にかかわる些か曖昧なものを扱いますので、厳密極まりない理系の学問と全く同じというわけには行きません (理系でも全ての研究が厳密なわけではないでしょう)。それでも、研究は実例や史料に即した実証を尊び、検証に耐え新たな知的創造につながるものでなければなりません。このような態度は、必ずしも「正しさ」を求めるものではなく、むしろ「妥当さ」を求めるものです。
既に「正解」に達することに慣れた皆さんがこのような話を読めば、大学で明確な「正解」が示されないことに不満を覚えるかも知れません。

しかし考えてみて頂きたいのは、世の中では性急に「正しさ」を求めるあまり、計り知れない悲劇が繰り返されているという問題です。今話題の某国大統領選では、特定の思想信条を持つ人の新規入国を禁止し、隣国との間に万里の長城の如き高い壁を築くという主張が拍手喝采を集めていますが、そのような一時的な人気取りが社会的な緊張を深め、富み栄えたはずの国家の破滅を招く可能性がゼロとは断言出来ないでしょう。我々は世界文明史の一大転換点に立ち会っているのかも知れません。

あるいは、高校で歴史を学ばれた皆さんは、「正しさ」が暴走した事例として、例えば中国・ソ連東欧・北朝鮮における社会主義計画経済の失敗、ナチズムの悲劇、大東亜共栄圏の末路、最近ではISの横暴を目の当たりにしていることでしょう。これらは全て、正しい価値観は特定の人智(あるいは超越的存在からの啓示)によって完全に掌握可能であり、万民がそれを信じて身につけることが出来るという、人間の限られた能力への余りにも楽観的な見通しの結果であり、あらゆる対話や調整を拒否した結果です。

したがって、社会科学・人文科学が目指すのは、単純で独善的な「正しさ」ではなく、個人・組織からグローバルな社会・文化に到るまで、互いに異なる多様な他者どうしでも共有しうるような《適切・妥当な》価値を発見することにあります。とりわけ法学部が扱う法律学・政治学は、そのような知的作業を、政治と社会一般の歴史と現実に即して進めて行く学問です。
法律学と政治学は、一見すると全く異なる分野であるように思えます。少なくない方が、六法全書の膨大な条文や、司法試験や公務員試験に向けたテキストの類いを目の当たりにして、法律学とは暗記によって「正しい」解釈を身につけることと心得ているのかも知れず、移ろいやすい権力現象を扱う政治学を生臭いと思っているのかも知れません。あるいは、政治学を志すことによって公共的な部門やメディアなどで活躍したいと思っている方からみますと、法律学の厳格な態度に食傷するのかも知れません。

しかし、本学はもとより全国の法学部と称する部門が尊んでいるのは、法律学と政治学を車輪の両輪として認識する態度です。何故なら、法規範の精神は、それが生まれた政治・社会・文化・経済・技術等のありかたと不可分だからです。人間社会の大きな方向性を権力やコミュニケーションという視点から考える政治学を踏まえておくと、法規範への理解も一層深まります。逆に、憲法・民法・刑法・行政法・国際法といった様々な法典の基本的な精神は、まさに近代市民社会のありかたを凝縮したものですから、それらの考え方を学ぶことは即ち、国家とは、社会とは、世界とは何かという問題への最良のアプローチにもなります。そして、法律学と政治学は、人間性への探求であるという点で、隣接する社会学・経済学・歴史学・思想哲学と密接な連続性を持っていますので、本学法学部では、このような境界線上の学問に関する知見も豊富に取り揃えています。

駒場に入られた皆さんが、是非駒場の前期課程で多様な知のあり方に刺激を受け、社会的な問題群へのアプローチ能力を養う法学部の門を叩かれることを、心から楽しみにしております。

(教授/法学政治学研究科)

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