HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報584号(2016年6月 1日)

教養学部報

第584号 外部公開

フランツ・エッケルトと日本・韓国近代の西洋音楽受容 駒場博物館の展覧会をきっかけに

Hermann Gottschewski

2016年度Sセメスターは駒場博物館においてフランツ・エッケルト没後100周年記念特別展「近代アジアの音楽指導者エッケルト─プロイセンの山奥から東京・ソウルへ」が開かれる運びとなった。その立て看板が駒場博物館の入り口で目に入り、フランツ・エッケルトという名前を初めて見た人も少なくないかもしれない。このエッケルトはいったい誰なのだろうか。

彼の人生を短く紹介すると、エッケルトは1852年に当時のプロイセン王国にあったシレジア州に生まれ、17歳で陸軍軍楽隊に入り、1871年にドイツ帝国が成立してから帝国の海軍軍楽隊に転職した。当時の職種は第一オーボエ奏者であった。26歳の時には日本海軍省のお雇い教師として来日し、その後20年間海軍軍楽隊、宮内省式部職の吹奏楽や管弦楽、陸軍軍楽隊などの指導者や指揮者として活躍する。その傍らで文部省音楽取調掛で音楽教育にも関わったり、在日ドイツ人の男性合唱協会の指揮者を務めたりして、作曲者や編曲者としても作品を残している。1899年には帰国し小さな保養地の指揮者として勤めるが、間もなく大韓帝国の侍衛連隊(宮廷)軍楽隊の指導者として再びアジアに向かう。そこでさらに15年間活躍した後、1916年にソウルで亡くなる。

この様にエッケルトは間違いなく多才な音楽家であったが、音楽史に輝く大作曲家やヴィルトゥオーゾに並べてみると地味な存在でもあった。主に音楽現場の指導者として活躍したので、著作はほとんどなく、作曲・編曲作品も決して多いとは言えない。彼の指揮による音楽会の批評などはいくつか残っているが、録音が残っておらず、演奏中の写真すら残されていない。現行の《君が代》と韓国の最初の公的な国歌であった《大韓帝国愛国歌》の創作に深く関わったので、エッケルトの名前は専門家の間でよく知られているが、それだけで一般の観客向けに特別展で取り上げる価値が認められるだろうか。少なくともこの展覧会の企画者の一人である私はそう思っていない。ではこの企画の焦点はどこにあるのだろうか。

私はエッケルトを文化交流の「窓口」として考えている。窓口というその意味は、その窓口自体のありかたも勿論関係するのだが、それよりは、窓口がどこに設置され、どのように利用されているのかが問題になっている。つまりエッケルトを考える時にはエッケルト自身についての史実よりは、比喩的に言えば「西洋の音楽文化と東洋の音楽文化が交流するのにエッケルトをどのように利用したか」の問題を解かなければならない。

録音技術が未発展でインターネットも存在しない1900年前後には、音楽文化が遠方まで移動するのは主に音楽の記憶や能力を持っている人間の移動によるものであった。しかしヨーロッパと東アジアのように、旅が数週間もかかる距離であれば、このような人間の数が非常に限られていた。従ってエッケルトのように豊富な音楽経験を持ってそれを一所懸命アジアの音楽家に伝える人物は文化交流には大変貴重な存在で、その作品や残された著作をはるかに超越する意味を持っていたと言える。エッケルトと同時に他の音楽教師も東アジアで活躍し、欧米に留学したアジア人もいたので、エッケルトは音楽文化の唯一の窓口ではなかったが、文化のさまざまなルートを比較してもエッケルトの役割は決して小さいとは言えない。

このようにエッケルトは文化を運ぶ媒体に過ぎなかったとも言えるが、ここで考えなければならないのは、エッケルトは当然ながら西洋音楽文化の全体を背負って東アジアにやってきた訳ではないということである。エッケルトが窓口として果たせた役割はあくまでも、彼が「たまたま」ヨーロッパで積んでいた「特定の限られた音楽経験」を東アジアに持ってきて、その経験を東アジアの職場で「許される範囲で」しか活かせなかったことである。つまりエッケルトの活躍を評価するのには彼の個人としての文化的背景と東アジアでの職場環境を知る必要がある。

実は特に前者、エッケルトの個人としての文化的背景については、従来の研究では認識不足があった。一般的に読まれる音楽史などによって描かれる19世紀の音楽文化とエッケルトが実際に経験した音楽文化の間にはどれだけ大きなギャップがあるかは、今回の研究で初めて明らかになった部分も多い。それは彼の人生についてさまざまな誤った認識(例えば彼は音楽院で専門的な音楽教育を受けていたこと、そして日本以前に軍楽隊長だったこと)が広まっていたためでもある。

この展覧会ではエッケルト自身よりも彼が暮らしていた場所の文化的背景を紹介することに重点を置いた。従ってドイツの文化や歴史、その文化の中で軍隊や軍楽隊が果たしていた役割などについて、一般的な紹介も多い。文化と文化交流に広い興味を持っている来館者を大いに期待している次第である。

(超域文化科学/ドイツ語)

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