HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報584号(2016年6月 1日)

教養学部報

第584号 外部公開

<時に沿って> マージナルマン

鶴見太郎

「マージナルマン」という存在があります。例えば移民が、ホスト社会と移民同士の社会の双方に属しつつ、いずれにおいてもマージナルな状態にある人のことをいいます。マージナルマンは、二つの社会の間で引き裂かれ、自己が不安定化しやすい反面で、それぞれの社会を、それぞれの中心にいる人々とは異なる視点で眺める目を持つので、より客観的に、様々なことを吸収する傾向にあります。社会学者のロバート・パークは、マージナルマンの頭のなかにこそ、文明化や社会の進歩の過程の縮図があると指摘しています。

このマージナルマンの典型としてしばしば挙げられるのがユダヤ人です。ユダヤ人といえば頭がいいとよくいわれ、事実、世界の研究者のなかでのユダヤ人の割合は、全体の人口比と比べて高いように思います。その秘訣が何か、しばしば関心の的となり、ユダヤ教にその本質があるのではないかなどと噂されたりもします。確かにユダヤ教は、ユダヤ法を徹底して学ぶことをその真髄としていますので、学問という営みに対する親和性は高いでしょう。

しかし私は、ユダヤ人が複数の世界を跨ぎながら、そのなかでジレンマと格闘しつつ様々なことを吸収し、社会を相対化して捉えることが常であったことが影響しているのではないかと考えています。

私が主な研究対象としているのは、ロシア東欧地域にゆかりのあるユダヤ人です。彼らは、その地域で、商人(といっても貧しい行商や小商店主なども多くいました)や手工業者、銀行家として社会経済の潤滑剤として暮らしていました。資本主義化とナショナリズムの進展のなかで、彼らのそうした地位は揺るがされ、なかにはマージナルマンとしての生き方をやめようとするユダヤ人も出てきました。その先に生まれたのがイスラエルという国家ですが、現在まで、もともと暮らしていたアラブ人との間で争いが絶えません。私の研究テーマは、こうした歴史とその現在です。

人と人がつながることは、多くの豊かさをもたらします。けれども、当たり前に見えるつながりは、実は危ういバランスのなかで辛うじて保たれているにすぎないこともあり、それが崩れたとき、つながりが切断されていく連鎖に陥ることもあります。人と人とのつながりは見えにくく、それゆえ容易に看過されがちです。そうしたつながりを、それでも何とかして見出していくことこそ、人文社会科学に課せられた大きな任務であると私は考えています。

研究者自身がマージナルマンであることは、その遂行を大きく後押しするのでないでしょうか。駒場の教員は、前期課程と後期課程・大学院で、関連しつつも異なる学問領域に所属しており、マージナルマンであることを構造的に強いられています。私自身は前期で国際関係論、後期・大学院でロシア東欧地域を担当します。それはもちろん負担を伴いますが、可能性に満ちているともいえます。そうした環境で学問に邁進できる幸せを感じつつ、駒場の皆さまとの出会いを楽しみにしています。

(地域文化研究/国際関係)

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