HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報585号(2016年7月 1日)

教養学部報

第585号 外部公開

<本の棚>川中子義勝著『悲哀の人 矢内原忠雄 没後五十年を経て改めて読み直す』

酒井哲哉

提供 かんよう出版本書は、戦前期の代表的植民政策学者であり、戦後は東京大学教養学部長・総長を歴任した矢内原忠雄の足跡を再検討した書物である。東京大学教養学部では、二〇〇九年に教養学部創立六十周年の記念企画として、駒場博物館で「矢内原忠雄と教養学部」の展示会が開催され、シンポジウムも三回行われた。その成果は、鴨下重彦・木畑洋一・池田信雄・川中子義勝編『矢内原忠雄』(東京大学出版会、二〇一一年)として刊行され、好評を博した。(本誌第五四六号「本の棚」欄に評者による紹介がある。)これを受けて、このほど、キリスト教学に詳しく、東大聖書研究会顧問を三十年近く勤めてこられた川中子教授により、矢内原の信仰と学問を論じた著作が刊行されたことは、誠に喜びに堪えない。

本書の表題にある「悲哀の人」は、内村鑑三昇天後三周年記念講演会における矢内原の講演名に由来する。悲哀の人とは、自分自身の事を悲しむ人ではなく、罪と偽りが世の中に満ちて真理が分からなくなっている時に、真実を語りだす人、そして言うだけではなく自らその罪を負う人である。国民が間違っているとはっきり述べて迫害される人である。その系譜の中に矢内原の師内村はあった。満州事変の一年半後に行われたこの講演には、矢内原の時局に対する緊張感がはっきりと現れている。事実、「日本的基督教には日本的迫害がなければならない」と述べた矢内原は、日中戦争後、その時局批判故に、大学を追われることになった。

著者はこのような孤立を恐れず正義を貫く矢内原の信仰と学問の関わりを、その生涯と著作を振り返りながら明らかにしていく。学者としての矢内原の専門は、植民政策学と呼ばれる分野である。植民政策学は、本来は植民統治の要請から出発したが、矢内原は独自の植民概念を採用することで、社会群の広域的移動に伴う相互作用の学として植民政策学の再編を図り、国家の政策学としての性格を脱色化した。グローバル化の下での外国人労働者問題などにも相通じる矢内原の視点は、現在の国際関係論研究で再度注目を受けている。だが、評者も含めて通常の社会科学研究者には、矢内原の信仰と学問の関わりについて踏み込んだ考察をするのは難しい。本書は近年の社会科学者による研究を踏まえたうえで、その空隙を見事に埋めている。矢内原の戦時下の朝鮮伝道や、戦後の大学教育論も、このような観点から明快な位置づけがなされている。

著者は顧問を勤めた東大聖書研究会の三十年を回顧しながら、かつて矢内原の周りに集まった東大生は社会の一端を担う精鋭が多かったが、今日は、傷ついて逃れ場と安らぎを求めて訪ねてくる魂が増えているという。先覚者意識から癒しの共同体へという変化は、孤立を恐れぬ時代批判の強さとともに、弱者へ寄り添う矢内原の姿を表しているのかもしれない。教養学部の創立者といえば煙たく思う向きもあるかもしれないが、そういう先入観を取り去って、本書に採録された矢内原の言葉と虚心に付き合ってはいかがだろうか。

(国際社会科学/国際関係)
 

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