教養学部報
第585号
<時に沿って>ひとつずつ積み重ねる
池田昌司
今年三月に准教授として、駒場の統計物理のグループに加えて頂きました。専門は、ガラス(まさにその窓ガラス!)の物理です。ガラスが物理? と思うかもしれませんが、実は、ガラスのような乱れた構造を持つ固体を物理的に理解することはとても難しく、統計力学として面白い問題が山積している状況です。興味のある人は、キャンパスで僕を見かけた時にでも声をかけてください。
さて、まさか駒場の統計物理の先生になるなんて、夢にも思わなかった。僕は、学部から修士課程にかけては、化学の実験研究をしていた。レーザーを使って、化学反応を微視的に観察する実験だ。実験は楽しく、将来もこういうことを続けられれば良いな、と漠然と思っていた。しかし修士課程に入学した頃、突然に身内に不幸が重なった。研究どころではない状況になり、しばらくの間実家に戻ることになった。不幸というものは人を厳粛な気持ちにさせるのだろう。僕は、実家の様々な用事をこなしながら、自分の来し方と将来をいつに無く真剣に考えた。これまでは自分は化学をするのだと決めていたが、他の可能性を考えなくてもよいのか、それで死ぬときに満足なのか。音楽が好きだったので、それに携わる仕事はどうだろう?そういえばベートーヴェンの曲って本当に良いよな、ああいうものが残せたら人生幸せだろうな、などなど。結局、自分が好きなモノの中で最も適正がありそうだったのは自然科学だったので、自然科学の研究者を目指そう、ということだけ決めた。とはいえ、自分は化学以外の自然科学について余りに無知だった。思えば、ベートーヴェンは革新的な作曲家だが、古典的な和声や対位法にも熟達している。僕も何を専門にする自然科学者になるにせよ、学部で習うぐらいの数学や物理は出来なきゃと考えて、他学科のシラバスを見ながら教科書を買って勉強していった。
その後、研究分野は二転三転した。博士課程では実験化学から理論化学へ、ポスドクでは理論化学から統計物理へ。研究分野を変える度に、あまりの知らない事の多さにめげそうになった。でも素晴らしい指導教官達と議論しながら、めげずに勉強し続けると、自分なりの論点が芽生えて研究成果が出た。そして今に至る。全ての基礎になったのは、あの時に始めた勉強だった。
結局、地道に一つずつ積み上げていけば、当初は思っても見なかった所にたどり着く、ということなのだろう。言い換えれば、自分の限界を自分で決めてはいけない、ということだ。
これを読んでいる学生諸君の中にも、将来に思い悩んでいる人がいると思う。そういう人は、何になるにせよすべきだと思うことを、日々積み重ねていくと良いと思う。将来なんて、本当に、本当にわからないのだから。そして僕もまだ、将来が確定していない若い人間の一人だ。挑戦心を忘れずやっていきたい。駒場は生き生きとした人が集まった、挑戦のための絶好の場所だ。
(広域科学/相関基礎)
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