HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報586号(2016年10月 4日)

教養学部報

第586号 外部公開

<時に沿って>ホームなのか、 アウェイなのか

山口輝臣

横浜生まれ、横浜育ち。本学の卒業生。大学院を終えたあと、高知と福岡で都合20年近く暮らし、この4月に着任。そのせいか、福岡の友人たちからは「帰るんですね」と言われ、こちらの知り合いには「帰ってきたんだね」と言われる。

生まれ故郷、それに出身大学と来れば、「帰る」と言われるのも当然かもしれない。ただ、傍からはどう言われようと、自分としては、なにかが違う。帰ってきたという実感がないのだ。

キャンパスに近い方が良かろうと、井の頭線の沿線に居を構えた。心地よい町で楽しく暮らしているが、生まれ育った横浜の某町とはどこか少し雰囲気が違い、よそよそしい。行き帰りの電車で流れる広告がFC東京というのも、マリノス一筋の私をアウェイ気分にさせるのに十分である。

大学はなにかと忙しいものの、学生と同僚に恵まれて至極快適。しかし、同じ東京大学といっても、本郷の文学部出の私にしてみれば、教養学部は、学部の一・二年生の時に過ごしただけで、ほとんどまったく未知の世界。組織が複雑で、途方に暮れることもしばしば。前にいた大学は、赴任するまで縁もゆかりもなかったが、文学部だったため、すぐに仕組みは理解でき、適応も簡単だった。

人が帰る先のことをホームと呼ぶなら、どうやら私が来たのは、ホームに近くはあるものの、それそのものではない場所なのだろう。ただそれはアウェイでもない。ホームともアウェイともつかぬ不思議なところに、いま私はいるようだ。さて、どうするか?

前に住んでいた福岡では、それなりの努力をし、数年で、ホームという感覚を身につけたように思う。おかげで、夜の12時を回っても普通に飲み続けるような文化まで習得してしまい、東京へ来て困っているほどである。酒席のことはともかくとして、まずはこちらでも、福岡の時と同じように、自分のいる場をホームと感じ取れるよう努めるという道がある。

ただそれ以外に道がないわけでもあるまい。もう一つの道、それは、ホームともアウェイともつかぬこの場所を、そのまま生きていくことであろう。そんなことが私に可能なのか、そしてどんな結果が待ち受けているのかは分からない。ただ年もそれなりに重ねてしまった現在、余計なところに力を使うより、この方がむしろ楽かもしれない。そして、もしかするとこちらの方が、駒場らしいのではあるまいかと、ここのところ思いつつもある。

(地域文化研究/歴史)
 

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