HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報589号(2017年1月 6日)

教養学部報

第589号 外部公開

福島第一原子力発電所事故のこれまでと、これからと。

小豆川勝見

福島第一原子力発電所事故から五年半の歳月が流れた。あの日以来、「環境中の放射線を測定する」というテーマを掲げて、東京電力福島第一原子力発電所(現場では1Fと呼ぶ)や周辺の帰還困難区域内など、空間線量率が高い地点の調査・研究を続けてきた。最近でも国内外を問わず、様々なメディアが廃炉の工程や、放射性物質の封じ込め(遮水壁・凍土壁など)、避難指示区域の解除などの報道を行っているが、現場の「空気感」を知っているか否かで、受け止め方が大きく異なると感じている。実際に、教養学部内でも数名の教員・大学院生に現地調査に同行して頂いたが、「大丈夫だと頭で分かっていても、防護服を着る時には言葉で言い表せない緊張感がある」という感想が聞かれた。メディア経由の報道だけでは現場の独特の雰囲気を伝えきれないことも、関心が低下しつつある原因ではないかと考えている。その1Fの現場であるが、作業環境は事故後五年の間に相当な改善が図られた。毎日数千人の作業員が出入りする入口近辺の空間線量率は、徹底的な除染によって約1 μSv/h(二〇一六年一一月現在、参考までに駒場キャンパス正門前で0.07 μSv/h)に抑え込まれ、二〇一一年四月初旬に訪れた時の100 μSv/hから劇的に低減していた。構内でも全面マスク着用義務が外れるエリアが増加し、休憩所には温かい食事を提供する場所も開設された。構内をバスで巡回する見学も頻繁に行われている。

ただし、1─4号機建屋周辺はガレキ処理や遮蔽等を行ったものの、依然高い空間線量率である。二〇一五年一一月訪問時には三号機前で350 μSv/h(バス車内)を観測した。建屋内では更に上昇する。このような環境下で数十年と続く廃炉作業を続けることはどれほどの困難か想像に難くない。

また、報道される機会は減ってしまったが、1Fの敷地境界線から一歩足を踏み出せば、除染がほとんど行われていない帰還困難区域が広がっている。圃場はセイタカアワダチソウやススキで埋め尽くされ(図)、作業中に野生動物に遭遇することもしばしばである。そして、近くの森の中では40 μSv/hを下らない空間線量率が未だに蔓延っている。
1F周辺の大熊町・双葉町(共に面積の大半が帰還困難区域に指定)には、中間貯蔵施設の建設が予定されていて、既に工事が始まっている。福島県内各地で発生した指定廃棄物等を中間貯蔵施設に集積し、減容化や再生利用等を経て、貯蔵開始から三〇年(平成五六年度)までに全てを福島県外に持ち出す計画となっている。しかし、これがどこまで実効性のあるものなのか現段階では見通せない、というのが現場で感じている私の感想である。

もう一つ大きな関心事として、食品中の放射性物質が挙げられる。事故から一年後には、一般食品の基準値として放射性セシウム100 Bq/kgが定められた(一年以内は500 Bq/kgという暫定基準値が設定されていた)。これは放射性ストロンチウム(90Sr)等の様々な放射性物質を含みおきした上で策定された基準値であり、最も測定が簡単な放射性セシウムに基準値を代表させ、放射性セシウムが基準値を超過していなければ出荷・生産に制限がかからないことになる。不幸にして事故一年後まで現在よりも明らかに高レベルで放射性物質が食品に混入していた。暫定基準値を超えたものが流通していた割合も現在より格段に高かった。しかし、三年が経過した時点で、関東圏で流通する食品を片端から測定したところ、放射性セシウムの中央値は0.16 Bq/kgまで低減していた。基準値の五〇〇分の一以下である。五年後の二〇一六年でもほぼ同様の傾向が確認されており、食品中の放射性物質は効果的に抑えこまれていると言える。このような動態を報告した論文が二〇一六年のStock­meyer科学賞(欧州最大の食品科学賞)を受賞できたこともご報告する。

最後に、身近な測定例を紹介したい。二〇一四年と二〇一五年、東大生協では福島県内で出荷制限がかけられている試験栽培の米を販売していた。パッケージには「放射性物質は25 Bq/kgの検出下限値にて不検出」との旨が記載されていたが、実際に測定してみると、放射性セシウムは0.85─2.4 Bq/kgであった。生協が通年提供している米(北海道産)も同時に測定したが、検出下限値0.14 Bq/kgで不検出であった。これらの値から何をどう考えるかは各個人次第である。ただ、より正確な値を付することによって、年々の傾向を捉えたり、将来の予測に必要な統計情報に活用できたりもする。前期課程向けの学術フロンティア講義や大学院生向けのリーディングプログラム(IHS)でもこのような情報を基に学生と考える機会を提供してきたので、学生の皆さんには積極的に議論に参加してもらえると大変ありがたい。事故から五年半が経ったが、まだ収束までの駆け出しに過ぎないのだから。

(広域システム科学/化学)

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福島県大熊町の帰還困難区域内の調査の様子。
事故以前は圃場だった。

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