HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報590号(2017年2月 1日)

教養学部報

第590号 外部公開

<駒場をあとに> さようなら、駒場

小川桂一郎

一九七一年に入学以来、駒場を離れたのは理学部化学科の二年間だけ。四四年も駒場で過ごしてきたことになる。この間、常に誰かに助けられ導かれてきた。学生時代に先生方から学んだことはもちろんだが、教員になってからも、同僚の方からさまざまなことを教えられた。学生にも、私は何かを教えるというよりも、教わることの方が多かったように思う。優秀な学生がいてくれたからこそ、研究者として成果を上げることもできた。職員の方に助けられたことも数限りない。とりわけ、最後の二年間は、学部長として多くの方にたいへんな負担をおかけし、心許ない学部運営を支えていただいた。個々のお名前は挙げないが、あらためて心よりお礼を申し上げる。本当にありがとうございました。

ここでお伝えしたいことはこれに尽きるが、私にとって大きな区切りとなるこの機会に、これまでの長い年月を振り返って今思うことを少しばかり記してみたい。

私は身近な大人が科学者ばかりであったためか、少年のころから、自分も将来は科学者になるだろうと思っていた。だからといって理科系の科目が得意というわけでもなかったが、理系に進むものと決めていた。

しかし、心はつねに音楽により強く惹かれていたように思う。幼少のころから習っていたピアノは、初歩的なレベルに留まったが、生活の一部となっていた。小学生のときに、音楽の先生のテノールの美声に魅せられ、いつかそのような声で歌えるようになりたいと思った。高校生の時にイタリア歌劇団による「ボエーム」を観て感動し、そのアリア「冷たき手を」を歌うのが夢となった。

駒場に入ると、第二外国語としてドイツ語を選択した。理由は、物理や化学の研究に必要と考えたからだが、シューベルトを歌いたいためでもあった。声楽の勉強も始めた。全学一般教育ゼミナールは、毎学期履修したが、どれも学外の作曲家による音楽のゼミばかりであった。

修士一年の秋に、イタリア政府から奨学金を得て、ミラノ工科大学に留学した。わずか九ヶ月間ではあったが、私にとっては、驚きの連続で、視野が一気に拡がる希有な機会となった。活気に溢れた研究室での研究は、二報の論文にまとまり、その後の研究の着想を与えるものとなった。また、毎週のようにスカラ座でオペラを鑑賞し、往年の名歌手によるレッスンも受けるなど、音楽的にも稔りあるものであった。

一九七八年に博士課程の途中で、隣の研究室の助手(現在の助教)に採用された。当時は、「化学実験」全一二回が理科生全員の必修であり、これを一人の助手が担当した。つまり、学生は一学期間を通して同じ先生の指導を受ける。昼休み明けから始まる実験は、カリキュラム上は二コマであるが、実際には夕方六時過ぎまでかかることが珍しくなかった。毎週レポートを課し、面談を全員に対して行った。このように長い時間を学生と密に接するので、おのずと親しくなる。夏学期の終わりには、しばしばクラスコンパに招かれた。その学生の何人かとは、二〇年以上も経た今も交流がつづいている。彼らは今や、各分野の第一線で活躍する頼り甲斐のある友人である。

化学の研究を行いながら、歌の勉強も細々と続けているうちに、科学の研究と音楽の演奏は、外見は非常に異なるが、どちらも他者と心の交流を生み出す点において本質的には共通していることに気がついた。科学では、自らの発見を言葉として表現するのに対して、音楽では、自らの思いを楽音として表現する。科学は、音楽とは異なり、一瞬にして人の心を震わせることはできない。一方、音楽の演奏は、科学とは異なり、身体の動作を必要とする。しかし、いずれも、深いレベルで他者とコミュニケーションを成立させることを究極の目的としている点では同じである。
最近は、さらに、スポーツにも科学と音楽に共通する点があることに気がついた。私は運動が苦手で、スポーツとは無縁の生活をしていた。ところが、駒場でのスポーツ科学研究にもとづいて開発されたトレーニングマシンを使ってトレーニングを始めたところ、四〇年間できなかった高音の発声ができるようになった。「冷たき手を」を歌うという夢の実現に一歩近づいたのだ。しかも、驚いたことに、プロのスポーツ選手も身体機能の衰えた高齢者も同じマシンを使って、それぞれ成果を挙げ、喜んでいる。このことから、身体の動かし方には普遍的な法則があり、それに従えば正しい動作が習得でき、それが人に喜びを与えることを知った。

スポーツ、音楽、科学のいずれも、人に喜びを与え、人を幸せな気持ちで満たしてくれる。これこそが文化の本質ではないだろうか。駒場での四四年間は、このことを私に教えてくれた。自然と歴史が調和し、文化の生まれる駒場。これからもこの良き駒場が続き、発展していくことを心から願って、お別れの挨拶としたい。さようなら。

(教養学部長/相関基礎科学/化学)

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